TVドラマとか、映画とかはみなさん好きでしょうか?
俺も好きです。恋愛モノ、人情モノも見ますけど、主にサスペンス系とか推理モノに趣味が偏っちゃいますけど。
それらのテーマって、人と人のつながりだとか、人を愛することの大切さとかを問うものが多いですよね。
もちろん、俺はこれらを否定はしません。感動しますし、すばらしいことだって思いもします。ですが、両手を挙げて肯定もしません。それだけが全てだとは思わないからです。
人の生き方がそれだけで完結できるなら苦労はしません。実際、他人の言動や、社会のあり方について”疑う”ことで得られるものだってあります。
それは、「気づき」です。
これは誰も教えてくれない。他人の話を聞き、少し疑念を持ったり、自分で知ろうとしたときに起こる現象です。教科書にも載らない、どんな著書にも載らない、積み上げてきた自分の体験を通してしか得られないものです。
俺は他人の言葉をすぐさま両手を上げて信じることはあまりありません。
親だろうと先生だろうと兄弟だろうと好きな人だろうと、政治家だろうと有名人だろうと上司だろうと先輩だろうと必ず自分で咀嚼してから判断します。
相手の言葉のカーボンコピーほど恐ろしいものは無いからです。
信じる=カーボンコピーではありません。
教科書通りの受け答えしかできない人、自分の考えが見えない人、自分の経験に頼りすぎて今までの自分を省みない人、いろいろな人がいます。
言っておきますが、俺は「人間不信になれ」と言っているわけではありません。
自分以外を信じなかったら、秦の始皇帝のような哀れな末路が待っていると思います。
信じる=カーボンコピーではない。一度疑ってから、裏づけを取ったり、自分の考えを整理してから信じろ、と言っているんです。
自分の考えと否定的な立場で一度考えてみるのも手です。
そうでなければ自分からは何も生み出さない、指示待ち人間の出来上がりです。
どれだけ成績優秀で満点とっていようが、これが無ければ100点を取ることには長けていても、120点、150点を目指すことが無いからです。100点が天井だと決め付けて、それ以降を捨てるからです。
未知の領域に挑戦したり、創出することを無くしたら、結局周りのカーボンコピー機でしかない。
素晴らしい万能人間でなくてもかまわない。100点が取れなくてもかまわない。
ただし、カーボンコピーせず他人の言葉を自分で咀嚼、解釈し、積み上げて120点、
あるいは150点を狙っていく人間でありたい。
"信じる"だけでは得られないものが世の中には確かにあると、俺は思います。