引用元:(時事通信)学校側いじめ認める=小6女児自殺、因果関係は否定―群馬・桐生
時代の流れなのだろうか?
俺が中学生のとき、13~4年前くらいか、いじめによる自殺も当時も新聞で取り沙汰されていたな。
いじめによる自殺は、その頃からも発生していたし、未だに学校内、クラス内での暗部となっている。
最近のニュースなどの傾向から判断するに、いじめによる不登校、心の傷、自殺などの被害は、
小学生へと、中学生から小学生へと、シフトしている傾向にあると思う。
いじめは、高校生でも、大学生でも、あるいは社会人になっても起こっている。
大人のくせにいじめをするなど社会人として醜態をさらしているようなものなのだが、
うつ病になったり、長期欠勤、あるいは退職などに陥ったりしている。
単純な比較だけの話だが、大人はまだマシかもしれない。
大人は、会社を辞めて自分で仕事を探せば、新しい環境でやり直せる。
自分の意思でやり直すことが出来るのだ。
だが、子供はどうか?
高校生、中学生、小学生、年下になっていけばいくほど、親の都合による影響度合いが色濃くなるし、
学校も自分で選ぶことが出来ない。
親に甘えやすい子供なら、いじめを「チクる」ことも出来ようが、報復が怖かったり、
親に心配をかけさせたくないという子供の心理を考えると、「チクる」こともやりにくいのではないだろうか?
今回のこの記事では、自殺という最悪のケースでいじめは収束してしまったのだが、
いじめをした子供の担任、あるいは親は、どうするのだろうか?
ひたすら隠すのか?それとも叱りつけ、コトの重大さを気づかせるのか?
わずか12歳で人を殺したという重大な重荷を背負わせるのか?
・・・俺は、コトの重大さを認識させるべきだと思う。背負わせるべきだと思う。
人は簡単に死ぬ。
決してタフなものではなく、孤独にさいなまれ、頼るものがなく、絶望したら死のうと考えたりする。
考えるだけでなく、時には行動に出たりもする。
だから、「そんなつもりじゃなかった」などという言い訳は通じない。
学校もそう。「いじめがあったなんて知らなかった」という言い訳は通じない。
大人だろうと子供だろうと、人はちょっとしたきっかけから、心の暗部が少しずつ広がり、
少しずつねじれ、ゆがみ、耐え切れなくなったら死のうとしてしまう。
だからこそ、コトの重大さを思い知るべきだと思うのだ。12歳の子供だろうと。
話は変わるけれど、ふと思ったことがある。
昔から、「いじめをするな」「いじめをしてはいけない」と口酸っぱく言われてきているが、
これはいじめを見て見ぬフリをする言い訳を作っているようなものではないだろうか?
直接関わっていない、だから関係ない。
いじめはしていない、だから関係ない。
そうではなく、「いじめられている子を助けよう」と教育すべきではないだろうか?
ただ単に言葉のすり替えに思われるだろうか。
俺は違うと思う。クラスの皆にこういう言葉を心に宿していれば、そもそもいじめは生まれないだろうし、
いじめを見たら、助けようとするのではないだろうか?
ただの理想論かもしれない。だけど、こういうところから解決の糸口があるような気がするのだ。