引用元:(時事通信)押尾学被告、無罪主張へ=女性死亡で初公判―東京地裁
押尾学は、人が一人死んでいるのだから全く関係ないとは主張できまい。
目の前で人が勝手にMDMAを飲んで、知らないうちに死んだ、などと通るはずがないだろう。
MDMAを所持していたことは変わらないし、「きたらいる?」のメールの事実もある。
MDMAの使用を示唆するメールだというのが世間一般の見方だろう。
最近、この関係の記事を読むにつれ、メディアの報道が情報不足なような気がしてならない。
そもそも、この裁判の争点はなんなのだろうか?
女性を死なせてしまった事実について、なのか、
救命措置をとらなかった押尾学の責任の有無について、なのか。
俺は後者なんじゃないかと思うようになった。
だって、明らかに人が目の前に死んでて、無罪を主張なんて普通じゃ出来ない。
時事通信の読者のコメントを見ていると、どうも事件全体のことについて
有罪!有罪!と主張するコメントが多い。
俺はちょっと考えた。
ひょっとして俺達は、裁判の争点について、
事実とギャップがあるんじゃないかって。
俺達世間の人々は、報道によってしか主だった情報は入手できない。
どこが裁判の争点になるのかハッキリしないのだ。
押尾学が主張する「無罪」と、俺達がコメントしあっている「有罪」は、
意識のギャップがあるんじゃないかと思うのだ。
報道各社のみなさん、この裁判の争点はなんですか?
分かりやすく説明して欲しい。
