引用元:(時事通信)家族承諾で3例目臓器移植へ=生前意思表示なし―東海地方の50代女性・移植ネット
(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100822-00000018-jij-soci )
この記事を読んだみなさんはどうお考えだろうか?
消える命もあれば、それで助かる命もある。
とお考えだろうか?
脳死判定にされた50代女性は、臓器提供の意思を示さず、家族の承諾によって臓器が提供される。
もちろん、臓器提供される側の命が助かるということに繋がるのだから、
この事実については何も言わない。
・・・だが、近日で家族承諾のみでの臓器提供はこれで3件目。
なんといえばいいのか、臓器提供して当たり前みたいな傾向になりはしないか心配なのだ。
臓器提供すること自体は良いことなのだが、本人の承諾なしで家族の判断によるということは、
脳死判定を受けた人間の意思を厳しい意味で、無視しているということになる。
意思は不明でも、提供するのは人によっては厳しい判断だと思うのではないだろうか?
目の前に臓器提供すれば助かるかもしれない命があったとしても、
自分の臓器を提供するというのは、ためらって当然ではないだろうか?
俺が何を心配しているかというと、臓器提供することそのものではなく、
脳死判定=臓器提供という仕組みが世の中で出来てしまわないか心配なのだ。
法律では縛られなくても、臓器提供して当たり前という風潮が出来てしまうのは、
みなさんどうお考えだろうか?
乱暴な言い方を承知で言わせてもらうと、いわゆる「臓器のリサイクル化」になりは
しないか?
命の尊さが軽視される風潮になったりしないのか?
考えすぎかもしれないが、俺はその点だけが心配になっている。
