今日は終戦記念日です。
ここでは、平和教育というものをテーマに記事を書いてみようと思います。
この記事を読んでる読者さんは、おそらく中学生から会社員・主婦に至るまで、
さまざまな世代の人たちが読んでいると思います。
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世代それぞれですが、平和教育というモノを受けてきたことでしょう。
いきなりですが、俺の所感ですがこの「平和教育」というモノは、
実に厄介なものだと思っています。
俺の母は教師をやっていて、実に数十年間、毎年平和教育というものを
していました。
その母の話によると、「かわいそう」だとか「戦争の年代に生まれなくてよかった」などと
言っているうちは平和教育は失敗だと言います。
今自分が生きている平和とは何によって作られたものなのか、
歴史的な背景も何も分からないまま、
自己中心的に「かわいそう」などとのたまっているようでは、
平和教育の目的は達せられていないのです。
どこか遠い国の、大昔の出来事、で片付けられているようで、
戦争の傷跡を風化させられているかのように錯覚してしまいます。
教える側の教師ですら、この平和教育の背景だとか目的を見失っているフシもあるらしく、
ベテラン・若い世代を問わず、教師の中には生徒たちと同化して「かわいそう」で
思考がストップしている人もいるようです。
なぜ目的や背景が見失われてしまいがちなのか?
それは、戦争という、自分たちの生活からあまりにもかけ離れた出来事について、
平和になるにはどうすればよいか、
自分たちの生活を通じて戦争の無い平和を維持するにはどうすればよいか、
実生活レベルにまで落とし込むことが非常に困難だからだと思います。
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平和教育の話から少し離れて、別の方向から話を進めます。
学校で習う基本5教科をはじめとして、学校で習うことは大抵が実生活に役立っています。
俺は数学や物理が得意だったのでこちらから話をしますが、
数学というものを、公式だの定理だのを暗記するだけで済ませていませんか?
数学を習う目的は、そんなものを覚えることではなく、
きちんと物事に対して論理的に解決できる思考を身に付けることです。
公式だの定理をそのまま覚えるのではなく、それらの証明方法を学ぶことが重要なんです。
日々の日常生活で起こる問題に対して、筋の通った解決方法を導くための思考を得ること、
これが数学を習う目的です。
数学の問題は、その目的のための練習みたいなもんです。
物理も含めて、理科も同じです。自然現象を論理的に考え、筋の通った証明をする。
証明が出来れば、実生活レベルにまで落とし込んで、世の中の生活を豊かにする。
みなさんがこの記事を読んでるパソコンやケータイなんかも、数学や物理で習う、
フクザツな論理回路や、電子回路によって作られているんです。
国語にしても、なんで日本人なのに国語を習うの?って分からない時期もありましたが、
これは会話や文章の中で相手が伝えたいことを読み取ったり、
また「自分が伝えたいことを話す・または書く」手法や表現を身に付けたりするためです。
大人になってから、文書やメールで誤字脱字が多かったり、
言いたいことの表現がまるで出来ていなかったり、
目上の人に対して敬語が出来ていなかったり、
職場の人との対話でビジネスとプライベートの切り分けが出来ていなかったりすると、
「いい歳こいて、この程度?」と非常に恥ずかしい思いをします。
なので、たかが国語と思わずに、しっかりやったほうがいいです。
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さて、話を戻します。そういうわけで、学校で習う基本5教科はそれぞれ、
みなさんの実生活に役立つための目的があるのですが、
この平和教育というものに関しては、戦後から半世紀以上経っているにも関わらず、
戦争経験者の聞き取りや、資料などの閲覧などに頼っている部分が強く、
・日本が平和を維持するためにはどうすればいいか?
・世界平和を実現するために日本がとるべき立場や方針は何か?
をしっかり考えさせるためのプロセスを体系立てていない為か、
「かわいそう」レベルで思考が停止してしまっているのが現実です。
戦争の歴史の「風化」という現実問題も確かにあるのですが、
平和教育をする本来の目的を、実生活レベルに落とし込むことが非常に困難である、
というのが「厄介」だと俺は思います。
靖国参拝問題だとか、核廃絶宣言についての行動計画の組み立てだとか、
管総理の韓国への首相"謝罪"談話など、色々問題は山積みです。
お盆が終わる今日一日くらいは、平和についてみなさん、少し考えてみてはいかがでしょう?
