ご遺族の方には

内容がハードかもしれません。

 

キツイ方は飛ばされてください。

 

ーーー

 

次女が他界した時の事を思い出すと

「大岡裁き」を思い出す。

 

とても苦しんでいたので

心停止した時に

次女の苦しむ症状が止まって

一瞬ホッとしたのだ。

 

「苦しみから解放されたのでは...」

という気持ちが自分の中に湧いた。

 

でもショックでショックで。

 

今でもそのショックが

続いているのかもしれない。

 

 

医学的な事を調べていたら

私が医学部を出ていたら

次女を救えただろうと思う。

 

 

ーー

 

『生き地獄』は

身をもって知っている。

 

他界する事で

そこからも解放されたなら...

 

だからとて

それが「良かった」とか

「最善策」だとも絶対に思えない。

 

『それしか方法がない』ほど

追い込まれているのはわかる。

 

そんな究極の苦しみは減って欲しい。

 

 

私が助けるには

力が足りなすぎた。

 

 

「なる早で次女の所に行くぞ」

って決めた方が

私の気持ちは楽である。

 

私とて生き地獄から

抜け出したい。

 

 

今は

ぼっちで居て

環境は必然的に平和でも

次女がいないショックは続き

 

何よりも

母からの事の数々が

フラッシュバックされ

 

一番会いたくない人が

夢にまで出て来て

寝た方が疲れるって感じだし

体感が平和にはならない。

 

私とて追い込まれる。

 

 

だから私は

自ら命を断つ人の気持ちを

容易く止めたり出来ない。

 

無論、勧めもしないし

目の前でそのような行為がとなれば

止めて話を聞くであろうけど


それくらいしか

私には出来ないのかもしれないと思う。


無力で非力だなと。


 

「生きる」という事さえ

実は大変だったのに

更に大変になる日が来るなんて

 

どれだけ強く

生きた人間から呪われているのか。

 

 

私や次女の因果応報がゼロだとは

思っていない。

 

でも「なんの代償なんだ?」って

思うほど酷い。

 

 

私は次女を苦しめた人たちを

一生許さない。

 

だけど自分で仕返しはしない。

 

なんなら何も起きていない期間分も

チリツモになって起きる

因果応報を願う。


ラクした分の利子がついてても

いいのでは?と思うくらい。

 

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テレビは師走感があり

世の中はクリスマス。

 

そんな平凡な時の流れすら

季節の変化すら

今は苦しみになってしまった。

 

 

喪中ハガキを送るだけでなく

届く時期でもあり

一枚届く度に胸が痛む。

 

 

私も早く召されたい。