次女が亡くなった年齢だけで

他人も辛く感じるのはわかる。



だけど


次女を

助けようとしなかった人たちも

次女を苦しめた人たちも


何もなかったかのように

過ごしている。


誰もお線香をあげに来ない。



第二のじいじは

「辛すぎて無理なんだよ」が

最後だった。


私には

「1人は良くないんだよ」が

最後だった。



次女の辛さは?

私しか気にしてないの?


時々そう思う。



次女のお線香をあげに来て

憔悴した私を見るのが辛いから?



大抵「辛い」という言葉。



私と次女は他人の辛さと

向き合って生きてきた。


次女は他人の心配ばかりして

自分の心配もしてくださいって言う程

優しすぎた。



なんの因果応報なんだ?


「辛いから」だけ。



私は他人を美化して

考えてきたのかもしれない。


ふとそう思った。



リアル見てみろ。

みんな「辛い」だけで逃げる。

「辛い」からたかる。

「辛い」から嘘をつく。

私圏内そんな人しかいないだろ。


自分にそう言った。


性格が悪くなったかもしれない。



ご供養ってなんなんだろう。


私にとっては

次女と一緒にいることなんだけど?と

何度も思って来た。


だからはよ朽ち果てたい。



ご供養って

未だよく分からないけど

「もしそうだったら…」と思い

ご供養に該当することをしてる。


けど、お坊さんの言葉は

時々綺麗事に聞こえる。



私は一緒にいて償いたい。

何より一緒にいたい。

まだ親と過ごす歳でしょう?と。