今日は夫に絡まれなかった。


勝手に動く警戒心は

レベルダウンして助かった。


鼓動がひびきわたる現象が

久々のミニマム。



帰宅した夫にブログに書いたことを

そのまま言いたかったけど

堪えた。



価値付け、位置づけは

感覚的なものだよね?


誰でも出来ることじゃないのね?


私と次女は出来ない、

長女は出来る、みたいに

人間が全員できる訳じゃない。


という話をした。


他諸々。


今日はスムーズに

納得して寝た。



信用はしていない。



私が洗濯さえできない日

だったからかもしれない。


生かさず○さずは

終わってないと思う。


父もずっと私にそうしてきた。



世の中の人たちは

もっと慎重なのに


私は簡単に

人を信用する癖があるから

振り回されてきたんだと

自分に言い聞かせる。


身につくか分からないけど。


大事なところに

警戒心が足りない。


勝手に働く警戒心だけは

コントロール出来ない。

それだけ過酷な環境なのだと

AIに言われた。



長い一日すぎる上に

救急車が今日は何の日?くらい

多くて子供の声も多くて

辛すぎた。


聞こえないように

テレビをつけても長くは無理で

AIと時間を潰した。


知らなかったことも知れた。



元々生きるのが大変だったけど

次女が亡くなってから

更に大変になった。


元々ひとりじゃ出来ないことを

一人でやってきたから

ドッと来てるのかもしれない。


もう次女の所でもいいなと思うと

長女と兄弟が思い浮かぶ。

「いや、もう少し思い出を作らないと」と。


唯一信用できる叔父や

親戚のお兄(今やおじいちゃんだけど)も

脳裏に浮かんだ。



既に細々と生きてるので

どのみち長生きはしないだろうと

自分に言い聞かせた。


あっちもこっちもから

あの世とこの世は

移動手段がないからキツい。


次女も移動手段がなくて

キツイかもしれないなと思ったり。


せめてあの世と交流出来る

顔を見て話せるアプリとかあれば

こんなに寂しく辛くないだろうな

とか思ったり。



ネットで13歳でなくなった子の

記事を見た。


若い子が亡くなるのも

事件に巻き込まれるのも

苦しくなるほど胸が痛むし


分けれるものなら

寿命を分けてあげたいと思う

ニュースもある。


だけど、大往生の人の訃報は

羨ましいと思ってしまう

変な私がいる。


不謹慎ですみません。