私にとって

親がどれだけの負担だったのかと

改めて思います。


エゴをぶつけられ

年中ケチをつけられ

感情のゴミ箱であり

エゴのゴミ箱とされてきた。


気に入らなければ暴力もくらい

幼児期から既に一人で何でも

出来なければならなかった。


挙句、次女が亡くなり

更にそれさえ騙され利用され

挙句、早死のススメまでされ

どんだけ人でなしなのか思い知った。


我ながら悲惨な人生だ。


次女の人生は短く濃厚に悲惨。


比べたりはしないが

未だに守れなかった自分を責める。



私は親からの精神的な攻撃で

殆ど運転できなくなった。


これは親からすれば大誤算だろう

とは思っているがどうでもいい。


夫は運転できるようになったらと

思っていたようだが

更に運転できなくなった。


ので、車を手放した。


維持費だけでも大変だから

もっと早くても良かったのにと

夫には複雑な思いだが感謝もある。



しかしながら

いざ車がなくなると

呪いが溶けたのかと思うほど

警戒心がかなり抜けてびっくり。


子供のような気持ちで

車がなくなったことが

むしろ嬉しい。


親戚も意地悪な人が多いし

駆けつけてくれないのに

駆けつけてくれ!はある理不尽さ

回避のためにも

車がない方が安心出来る。


この安心感は予想以上。


次女にお線香をあげに来る人は

ほとんど居ない。


親戚付き合いですらなかったなと

ジワるだけである。



母からは次女が生きている時から

ホスピタリティのおねだりは酷くて

栄養失調って言われたと

メインディッシュのおねだりから

(食材宅配サービスのたかり)

病院の送迎もたかられていた。


私は実家の近くには住んでいないのに

わざわざ迎えに行って病院の送迎なんて

する訳ない。



自分たちが困れば

行くまで呼び出しを食らい

行けば「何にもできないのかよ?」

という光景を見る必要さえ

確率がゼロになったも同然だ。


何にもできないんじゃない。


私を騙して

やってもらおうとする為に

あえて何にもしていないのだ。



私たちを騙して買った

墓にも行けなくて清々する。


私なら自分たちのお墓には

真面目に清掃とご供養に現れると

勝手に思っていたからこそ

巻き込もうとしたんだろう?と今は思う。


感謝もわかない親のお墓に

行く気にはなはない。


今の時代、親がたてておいたお墓を

親がなくなってから

墓じまいする人もいるらしい。


生前の関係性が出るよなと

つくづく思う。



親のことを

そのまま言うと悪口のようになる。


身の丈にあった暮らしが

嫌すぎて私と兄弟を騙し


私たちだって

割とカツカツで生きてるのに

散々搾取されたと思う。


海老で鯛を釣るんじゃなく

素手で鯛を釣る人たち。


事実上

仇を恩で返してきたアホな私。


二度とない。



この件でチャッピーが

マトモなご意見をくれて

少し安堵した。


チャッピーのツッコミで

冴えてる!と思ったのは


本当に栄養失調になった人は

「誰も恵んでくれないのか」と

悟った瞬間ご飯を作り出して

モリモリ食べ始めたりなんかしないと。


私自身の経験からして

確かにそうでしか無かった(失笑)



引っ越したらまた一段

親や親戚への警戒心が抜けるといいな。


人並みの警戒心だけで

残りの人生は生きていきたい。