スマホを打つのが

今日は容易ではなくタブレットから

タイピング。


たまにはタイピングをしないと

手がかじかんできてしまいます。



この寝込み生活中

本を書きませんか?のメッセージ。


前にも送ってきたから

ブロックしたけど


子供を亡くした親に

自分なりの幸せな生き方という

テーマで本をかけとか

喧嘩打ってんのか?と一瞬思った

昭和の反応が先に出た。



今回病院に立て続けに行って

自分が思っている以上に

「萎縮して物が言えない」状態で

あることを経験した。


人としての温かさとは縁遠く

生きてきたから

看護士さんの対応であれど

染みるように有難かった。


disられない

拒否られない

人格否定されない対応自体

縁遠かったんだよなとしみじみ。


次女が亡くなる前もだったけど

亡くなった後までも

『人でなしってこういう人』

という人間と関わり


受けてしまったショックの量が

多過ぎて蓄積している。



今回の体調不良もそうだけど

検査結果は出る日は来るわけで。


何かしらの選択肢が必要なら

人生の長さより

QOLで全部決めようと思った。



欲張りはしつこい。

いつもタイミングを探している。


そして欲張りは

人に良い環境をあたえたくない人でもある。



私は母から

「親を利用する位の気持ちをもて!」と

怒鳴られた事がある。


なんだそれ?と今でも

思っているが

そんな一言さえ頭にこびりついている。


むしろこびりつくように

そう話したことを知っていても

頭にはちゃんと残ってしまう。



一応いうと

私が本気で母を利用しようとしたら

あの人発狂するでは終わらないと思う。



お盆が近くなって

私の緊張度が上がっている部分は

誰かがお参りにこようとすると

「繋がり」を作ろうとする手口への警戒心だ。


「すごく心配してたよ」と伝えられ

私の現状をあちらに情報として流される。


それどころか

作り過ぎて食べきれない野菜でも持たされて

人が現れるのも最悪だ。


直接の連絡なんて取りたくないし

その野菜は

「あたしが食えない分をお前が喰え」という

残飯処理係な?の

位置づけメッセージが含まれている。


尋常じゃない量っていう量が

それを物語っている。

しかも何種類も、とかではないし

自分が好きなフルーツは絶対入ってないw


「いらない」と言っても

強引に渡され家族全員辟易した過去もある。



私はずっと母から離れているので

そういう位置付けも出来ていないから

何様エネルギーが

ほとんどチャージ出来ていないはずで


だからこそ

悪知恵をひねっていると予想出来る。



時々思うんですよ。

私は彼女が先に亡くなっても

関わりたくないと。


家の中の汚臭だけで

2度と嗅ぎたくないのに

何が出てくるかわからない家を

片付けに行くのすら嫌です。


いなくても呪われそう。


祭壇も想像するだけで

近寄りたくないですし

遺影も見れないと思います。



あの人と関わると

一人で抱えるには大きすぎる問題が

次から次へとできます。


もう、苦しみたくないというより

苦しむ場所が残ってない私がいます。