次女が亡くなってから
辛くて触ることが殆ど出来なかったiMac。
次女の生前
次女に何かできないかと
必死になって勉強していた自分の想いと
間に合わなかった、無駄だった、
助けられなかった、守れなかった、という
その後の想いと一緒に
蘇ってしまうから使えなかった。
夫からはグリーフケアも兼ねて
Macbook Airを買ってもらっていた。
性格悪いのにそこはしてくれるんだ?
と驚いた件ではあるけど。
置いてあった場所は辛すぎたので
遂に移動して電源を入れた。
次女の生前
意地悪な人たちのターゲットにされるわ
次女は病んでいって気が狂いそうだわの
悲惨な自分のメンタルをなんとかしようと
写真を趣味にしようと自分に抗い
無理やり始めるためのiMac。
今やカメラは電源どころか
バッテリーがダメにならないように
充電するだけでも辛くて精一杯。
夫に
場所を移動すれば使えるかもと言ったら
移動しやすい台を買ってくれたが
正直、夫の身長に合わせて買ってしまい
私には台が高すぎて使えなかった。
夫がゴリ押ししてきたものを買うと
結局、失敗するなと
学習能力のない自分に凹む。
長生きしたくないから
物は増やしたくないのに
買ってくれる。
でも
「長生きしたくないからいらない」
とは言えない。
テレビ台が低すぎなんだよなと
思い出してテレビの台にしてしまった。
そしてテレビの台として使っていた
低すぎる台にPCを置いたら少しマシになった。
久々のiMacは
予想通り殆どログアウトされていて
OSのアップデートだけで
半日くらいかかった(電波が悪い家です)。
今日はそのPCからブログを書いているけど
やはり動揺しているのかサクサク使えない。
このPCに入っている次女の写真や
荒れていた次女を家に置いて
長女と出かけたものの
次女を置いて出かけた罪悪感が強かった
お出かけの写真。
長女は満面の笑みなのに
私はその時の罪悪感を同時に思い出す。
次女が生きていたら
失笑ネタになったであろう
懐かしいであろう写真が
沢山保存されているPC。
全部は見れない。
生きていたら
辛くはない写真だったのにな。
仮に私に「ご長寿」という
余命があったら
流石にどこかのタイミングで
自ら命を断つと思う。
生きてるってなんだ?
何いいことあるんだ?
世界が暗く見える。
私の親は私より長生きしろって
毎日念じている。
「身の丈にあった生活」をしたくない
大人達に
我が家は穢されて来たのだ。
夫でさえもその中の一人。
早く亡くなると哀しまれる人たちが
早く亡くなっている気がする。
私は親に寿命の日が来ても
きっと悲しくないし哀しくない。
世の中の不条理すぎる不条理にも
毎日苦しみを感じている。