それが我が家です。
「明らかに自死と思われる死因」では
ありませんでした。
だから鑑識はきましたけど
自死か否かの判断は
「遺書の有無」でした。
「え?判断基準、そんだけ?」と
驚いたのは今も覚えています。
例えば今時の子は
風邪薬でODをします。
だから法で規制されたようですけど
その数の多さがあっての規制だと
思うのですがコッソリすぎて
知っている人が少ない。
苦しみを紛らわせるためであっての
行為ではある訳ですが
そのまま亡くなってしまうケースもある。
だけど、その場合
自死遺族にはなりません。
「そういうご遺族は
どうやって過ごされているのだろう?」
と今までブログを書いて来ましたが
まだ知り合ったことがありません。
お坊さんから聞くくらいしか
情報がありませんが
毎月来て頂いている訳ではないので
殆ど知りません。
自死遺族ではないことで
色んな壁にぶち当たります。
ネットでもリアルでも
概ね自死遺族という括りから外されます。
(括らない方の存在が有難いです)
例えばこのブログでいうと
いいねを頂いたので括らない方なのかなと
フォローさせていただいても
承認されませんし
私が自死遺族ではないと知れば
フォロー解除もされます。
(ブログ内容が合わないなどの解除は除きます)
自死遺族ではないから
分かち合いの会もありません。
親戚も遠のきます。
そして我が家のような
虐マニアに囲まれ環境では
やっと理解されても
不憫に思ってくれる人があれど
結果として皆が遠のきます。
関わりたくない気持ち、
どうやって関わっていいかわからない
事情はわかります
私は50代ですが
年齢からくる孤立もあります。
50代でスマホや
PCをサクサク使いこなす人も
若者よりは格段に少ないアナログ世代。
それではなくとも
ケースが少ない環境におられる方とは
余計に知り合う機会がありません。
専門的な知識からいっても
モラハラ被害者は
モラハラ被害者と短期的にしか
分かち合えない傾向が強いです。
親のみならず
子供も孤立感を抱えてしまいます。
そこへ更に
自死ではない遺族という
フィールドがプラスされ
孤立が深まります。
色んな意味で
人間関係の「詰み」を感じます。