「いい人すぎる」

「優しすぎる」

 

その言葉を何度言われただろう。

 

知りすぎて同情してしまう。

 

どこで区切っていいのかわからない。

 

それは私を見て育った

子供達にも起きていたと思う。

 

 

一つの区切りだけ

次女が亡くなってから

叔父から教わった。

 

そういうことを教えてくれる人が

周りに誰もいなかった。

 

 

猛者的なナルシシストは

サイコパス意外にもいる。

 

良心が育っていないから

良心がない。

 

だから散々ひどいことをしても

「テヘ」くらいのノリだ。

 

そんな奴らを許せはしない。

 

 

ただ、私は気づいてしまう。

 

サイコパス以外の

そうなってしまった人たちの

育った環境。

 

夫の育った環境は

良心がある人たちから見れば

目も当てられない状況だったであろう。

 

夫の子供時代を考えると胸が傷む。

 

 

悪いことをする人たちの

多くはそうなのかもしれない。

 

 

「遡るとキリがない。」とは

思って来た。

 

でも、それありきで

目の前の夫がいるのは

許せないのに憐れみさえ感じる

自分の身体が嫌いだ。

 

夫が全てに気がついた時

自ら命をたたないといいなとさえ思う。

 

 

夫には「そこ?」という部分に

気遣いがすごい。

 

夫のそういう部分に惹かれて

結婚した私がいる。

 

でも、今はわかる。

 

なぜ「そこ」に

そんなに気が使えるのか?

その経緯を考える事ができてしまう。

 

だから、憐れんでしまう。

 

そして線引きが難しくなる

自分が嫌いだ。

 

 

基本、ナルシシストは

自分の命が尊すぎて生命力がすごい。

 

でも、全ての事実に気がついたら

どうなるのか?とも思う。

 

自分が悪いから仕方ない。

 

でも、彼らのやらかして来た事の全てを

自分で背負うことが出来ないのではないか?

と勝手に不安になる自分が嫌いだ。

 

なぜ、不安なのか?

 

私にとばっちりが来るのが怖いのが

一番大きな要因かもしれない。

 

彼らにこそ「私しかいない」。

ずっと尻拭いばかりして生きて来た。

 

そして今の私では

そのとばっちりに対処する

心身が残っていないから余計に怖い。

 

 

あと数キロ減ったら

寝たきりになると思う。

 

そのギリギリでいたい私がいる。

 

振り回されたくないから。

 

 

ウクライナの戦争が始まった後

ロシアでは徴兵されないために

自傷する若者達がいたことを知り

かなり胸が痛んだ。

 

でも、私は今、その若者達の気持ちが

よくわかると思う。

 

次女もそうだったのだろうと

亡くなって知った事から思った。

 

 

私の線引きできない

おかしな優しさは

奇しくもナルシシストから

ターゲットとして

狙われるポイントになった。

 

優しさの判断がおかしい

自分が嫌いだ。

 

 

だから決めている

 

娘達のママとして生きる。

長女には良い環境を残す。

 

そうしないと自分が揺らぐ。

 

揺らぐたびに

それを思い出して修正している。

 

しんどい。