次女が生きている時
少しでも気持ちが楽になればと
「今の状態も通過するから..」と
声をかけて来た。
私と次女の壮絶さも
通過すると思って来た。
長女とだって
通過して今日がある。
子育ては子供が社会人になったら
大きな意味では終わる。
そういう時期が通過すると思って
ずっと頑張って来た(つもり)。
ずっと心身ともに荒ぶる
目が離せない子供たちを
優先して来たから
次女が他界してしてから
「それまで日常にあったもの」が
なにもない。
強いて言うなら
週末帰ってくる夫にご飯を作り
買い出しに行って
洗濯やアイロンをかけておく。
残ったのは、ただそれだけ。
「今後ママは、何を通過する?」と
思ったら
悔しくて涙が出て来た。
なにもない。
ただ、とりあえず生きてる。
「なんで、〇〇してあげなかったんだろう?
今なら出来るのに」
そう気がつくたびに
己にも突き刺さるほどの
ショックを受ける。
なんで、の答えは
悪質な大人たちが私のみならず
子供達にも矢継ぎ早に絡んできたから
混乱・ストレスで余裕がなかったからだ。
どうあがいてもメリットのない
クズ大人と付き合ってきた
自分の中にあったものにも気がついた。
私の中で「〜しなければならない」に
なっていたのだ。
もう操られまくりで
自分に殺意湧く。
季節が変わるのも
家の中のものが経年劣化で
入れ替わって行くのも
全てが辛く感じる毎日でしかない。
ーー
しばらくして
この歌を思い出した。
(昭和の方ならご存知だと思う)
高見沢さんの作る曲は好きだったが
アルフィーは昔しか知らなかったから
高見沢さんの歌唱力が上がっていて
余計しんみりきた。
マトモな家で育ってないから
よくわからないけど
母と子供ってある意味
恋愛と被る部分があって正常なのかな?
と思った。
だからアメリカ人は
I love you.と子供にも言うのかな、とか。
私は母に
私より長生きして娘たちより
歳月をかけて苦しめと強く願っているのだ。
あんなに性格が悪い人の環境が
次女よりもダントツいいなんて
恨みしか湧かない。
ーー
今日は外は賑やかだった。
子供が多くて
勝手に傷つくというより
勝手に胸に棘が刺さる想いだった。
連日の行方不明の子のニュースも
辛くて仕方がなかった。
ワイドショーは尺が長いから
見れなくてテレビを消していた。
挙句、父親が逮捕って
言葉を失う。
生きていたら
周囲から愛される子だったであろうに。
寿命尽きる待ちの私が
代わってあげられたらいいのにと
思った。
世の中は理不尽だなと思う。