弱音maxです。

 

 

先日、障害がある子の話で

「特別な配慮」という言葉を

久々に聞いた。

 

特に問題がある話ではなかったが

その言葉だけが頭に残っていた。

 

 

そしてジワって来て気がついた。

 

 

そっか...

私の人生は「特別な配慮」で

ここまで来てしまったのか...と。

 

思い出すのも今は嫌な母から

夫から娘達に至り

「特別な配慮」はずっと続いて来た。

 

そういう意味では

結局のところ

ケアラーな人生を送って来てしまったと思う。

 

だからって

ケアしきれたのか?というと

全然力が足りなかった。

 

 

何より、私の実力不足と

一人では不可能という物理的要因により

次女は他界してしまったと思っている。

 

次女も夫や長女には「特別な配慮」を

一緒にしてくれていた時期は長いが

子供には負担が大きすぎたのだろうと思う。

 

もっと軽くしてあげることは

出来なかったのだろうか?

負担が軽かったら

次女にも余裕があったかもしれない...

 

などと

今更ながら私の頭では

処理しきれなくて時々混乱する。

 

 

障害の問題は仕方がないが

それ以外の

悪質問題が多すぎて

 

特別な配慮だけでも大変なのに

直接いうと口が悪くなるが

遠回しで言う言い方も知らないので

そのまま言うと

 

厄介者のゴミ箱

されてきた。

 

厄介者とはその人そのものに限らず

成長期、病気など

手のかかる時期を彼らは厄介者とした。

 

私しかいないのかよ?状態は

常にあった。

 

 

私の人生って半世紀それ。

 

 

私が体調を崩すと

怠け者、どうせ仮病、扱い。

 

骨折してもだ。

根性が足りないんだそうだ。

 

私が「特別な配慮」をしてきた人たちから

私が特別な配慮を受けることはなかったなと。

 

 

それどころか

未だに肯定されることは稀。

 

年齢的に頼られても仕方ない

部分があったとしても

頼られっぱなしはキツイ。

 

本来なら私が「助け合い」で

頼れそうな人は皆アウトだ。

 

そういう意味では

気持ち的な問題として

「休めないな」って思う。

 

 

ここまでボロボロな人生を歩き

今更「幸せに生きるスキル」とか

ハードルが高すぎて要らない。

 

やる気も起きない。

 

ただ、被害を被らないで過ごすことと

自ら命を断たないようにする事だけで

精一杯だ。

 

 

残りの寿命は短くていい。