毎日お坊さんの動画を見て
知ることばかりだ。
善い人とのご縁が続くかどうかは
「自分のスキル次第」一択だと
思い込んできたし
そう教えられて来た。
浄化ひとつにしても
「ただ清潔なだけ」では
ダメだったんだ...と凹んでいる。
目に見えない界隈は
この歳になってから気にし始めて
初心者すぎて難しい。
オカルト雑誌レベルの知識しか
なかったよ...。
でも、せめて見えない次女が
快適に過ごせるように
日々頑張っている。
ーー
善人である親戚や
知人だったりは
母が出しゃばって嘘をつき
「ご縁」が潰れて来た。
電話が家電(いえでん)だった頃は
母は私の友達とさえ話す人で
嘘の噂を流された。
そんなの気にしない人だと
「そういえば!〇〇さんが
連絡あったって伝えておいてって
言ってたよ!」と
数年経ってから言われる始末。
そんなこんなで
善い親戚や善い知人との
付き合いなんて殆どない。
次女が亡くなって
お線香を上げに来てくれる人は数人だ。
孤立は続いている。
善人は気を遣ってくれるから
離れて行ってしまったパターンもある。
あのクソババァの因果応報はまだなのか?
と日々思う。
今や私があの人を怨んでいる。
私の邪気が実家にいるだろう。
あの人は浄化どころか
風水が流行ったって逆を行く人だった。
自分が最高なので
神ってると思ってるのかもしれない。
ーー
一人で買い物に出たある日、
気がついた。
入手困難な流行りのシールを
親戚総出で協力しているんだな
という温かい光景を割と見かけたのだ。
我が家にはそんなのなかった。
子供達には私だけ。
私が必死になっていた。
ぼっちで。
でも子供が喜んでくれたら
私の行為はどうでもよかった。
同時に「辛いだろうな」とは
思っていた。
「ママと自分がセットで孤立している」
次女は特に強く
そう感じていたと思う。
今でも
日々ご供養はママだけ。
ーー
いざという時に
人間性が現れるというけれど
次女が亡くなってから知った。
歳をとると
「いざという時」が
誰かが他界した時なんだなと。
つづく。