世の中との温度差の辛さと
動きすぎたツケで
昨日は朝から体調不良。
後遺症の首の付け根の痛みも
半端なくてしんどかった。
ジワジワな頭痛が続き
放置しても治らないで1日が過ぎたので
処方されていた鎮痛薬を飲んだけど
「強いよなコレ」とググったら
一番強いヤツだった。
「劇」って書いてあった。
なのに余り効かないとは...
ーー
最近「おっちょこちょい」
という言葉がピッタリになった。
薬を飲もうとして
錠剤を吹っ飛ばして転がって行って
探すとかザラ。
ふらついてぶつけるとかザラ。
一つやったら二つ抜ける
とかも割と頻繁。
まだ50代前半だよね?と
時々自分に確認してしまうが
既に気持ちは高齢者。
ーー
25日のクリスマスは
次女にヨーグルトスフレを
作ってみたが
体調の悪さから「面倒くさい」と
思ってしまい
勝手に作り方をアレンジして大失敗。
「失敗作も味見する?」と
お仏壇にあげてみた。
でもなんか申し訳ないなと思い
後から『りんごのケーキ』を
ちゃんと作った。
少しは母の愛を
感じてくれたかな...
ーー
亡くなったから当たり前のように
次女に何も渡せない。
だから何も買えない辛さを抱えて
今日がある。
亡くなってしまうと
『香りがご馳走』になってしまう
らしいから
プレゼントといっても
お花を増やすか
食べ物を作ることしか思いつかず。
元々は食いしん坊だったけど
「流石にこれは...」って感じに
私の心は嘆いている。
ーー
そんな1日の終わりに
ふと思った。
私って
性格の悪い人に囲まれて
めちゃくちゃ困っては来たけど
『いじめられてる』って
余り気づいてなかったなと。
完全に『いじめ』なのにね。
「なんという姿を見せて
子供達の母親をやってきたんだろう!」
と自分の鈍さに嫌気が刺した。
次女が小さい時に
おにぎりの握り方を教えながら
一緒に握ったのは楽しい想い出。
でもあの時
実家で一時的に同居していたから
私の知らないところで
母から次女はいじめられたんだろうなと
今頃想う。
嬉しい事があると
いじめて気持ちを潰すクソババァ。
母に関しては
「因果応報が訪れて痛い目に遭うまで
元気で生きておけよ!」って
何度も何度も強い怒りが湧いてくる。
私は叔父から
誰からも教わった事がなかった
大事なことを幾つか教わった。
「もっと早く知っていれば...」
何度もそう思った。
私はこれまで意地悪だった人たちに
相応な対応しかしないで
余生を過ごそうと思っている。
子供達が心身ともに健康に
育ってくれることにフォーカスしすぎて
『自分がいじめられる姿を見せて
生きて来たこと』に気が付かなかった。
娘たちに申し訳なさすぎる。
長女にはまだ
教えられる事はあるよなって
今はまだ漠然とだけど思っている。
子供たちに関わること以外で
私はもう『大人のいじめっ子』と
関わる気はない。
助けるなんて論外だ。
私にはもう
傷つく場所が残っていない。