育ちで身についた

変な習性を修正するのは

精神的な難易度が高い。

 

足の親指の付け根が

ぶつけたように腫れていて

歩くと時々痛い。

 

睡眠時間が足りなかろうとも

毎日がスケール的には

『宝を見つけられない

 インディージョーンズ』級の夢だから

 

夢の中の何かのはずみに

ベッドでも蹴飛ばしたのだろうか...

 

だから

なかなか眠れないのかなとも

思ったりする。

 

今の理想は過眠症だ。

 

ーー

 

次女が他界してから

唯一何歳になっても

姪っ子扱いしてくれる

叔父の言葉に助けられている。

 

叔父がいなかったら

次女の後を追っていたかもしれない。

 

宝くじが当たったら

おじさんの家の近くに

引っ越しておいでよ!なんて

笑って言ってくれた。

 

きっと本当に引っ越しても

叔父は温かく接してくれるだろう。

 

叔父の命がある限り

『愛情を受ける側ってこんな感じ』を

経験で教えてくれそうな

気がしてならなかった。

 

叔父は唯一、私の人生を

ちゃんと把握してくれている

と感じる。

 

 

そんなことを考えていたら

次女が言っていた

「環境が悪い」という言葉は

真っ当すぎるよなぁ、と思った。

 

 

次女が仏教で供養されているのに

私が仏教を知らないのもなぁ..と

時々YouTubeで宗派が違うのも含め

仏教の教え的動画を見る。

 

なんとなくオススメで出て来た

『空海』の教えを見ていた時

 

次女が何故

人の声に耳も貸さなくなり

孤独で苦しんでしまったのか?

何故「助けて」と言えなかったのか?

という

謎の答えを得た気がした。

 

私に必要だったのは

精神医学でも心理学じゃなくて

仏教だったんだなと思う。

 

取った資格は無駄ではないが

次女の命が

こんなにも短いならば

順番を間違えたと思う。

 

 

私が次女に再会しても

やっぱり『母親』でありたい。

 

今度こそ

時に「導けるママ」に。

 

資格知識は必要だったら

その時に使うことにするよ。

 

 

今は私はやつれて体脂肪が

全然ないと思われるが

 

次女に最期となった冬は

次女がとても寒がっていて

肩から電気毛布をかけてあげた事も

あったけれど

 

「これくらい寒かったのかな..」と

自分が経験して悔しく思う。

 

こたつを買うと言ったら

喜んだ次女。

 

こたつを買う前に

他界してしまったけど

「さぞや寒かったろうに...」と

 

自分が経験してやっと

次女の切なすぎる我慢に

悲嘆に暮れてしまう鈍い私がいる。

 

駆けつけてハグしたい。