次女が他界してから
私に『空っぽの恐怖』が
襲ってくる事がある。
喪中ハガキ制作は二日かかった。
昨日はデザイン
今日は宛名印刷(手書きは現在不可能)
私側が送る相手のリストも制作。
私の体感よりも
脳が反応して行動が変。
自立神経がパニックだ。
今もタイピングの指が
おかしな動きをしている。
週末だが今日はぼっちの日。
のんびり寝てもいられず
「少しでも速く完成させよう!」と
午前中から動き出すも
なかなか行動に移せない。
他の事に集中して
時間だけが経過してしまう。
体感的には1ミリもチキっていない。
でも、体は完全に逃げている。
まるで『魂と身体が別』という
奇妙な感覚。
午前中から動いたのに
身体がハガキ制作に取りかかれたのは
午後からだった。
全然はかどらない。
今度は頭が半分パニっている!
みたいな感じで時が過ぎ
外が暗くなってから
やっと完成した。
...と思ったら
「切手が足りない!」となる。
どういう数え方をしたのだろうかと
自分にゲッソリ。
ググったらコンビニにも
弔事用の切手が置いてある場合がある
とのことで。
ダメ元でコンビニまで行こうとするも
「根拠のない恐怖」が襲ってくる。
コンビニから帰宅する
自信さえない。
途中で倒れるんじゃないか?
帰宅するまえに他界?
自宅で他界できないなら
次女の写真持っていこうかな?
とか無数に湧いて来て迷う。
夫は「無理しなくていい」という
言葉だけは残して行ったが
「無理してでも完成させたい」私。
私が次女と親戚をつなぐ役割の
最後だろうとも思っていたから
完成まで持っていきたかった。
散々迷ってコンビニへ。
行く途中すれ違った
見るからに怪しげな人に対し
「あの人に刺されたら逝ける..」と
一瞬おかしな期待が頭をよぎったが
「相手に失礼すぎる!」と
すぐさま自分に腹が立った。
私の頭の中はどうなっているんだ...
今でこそ「頭がおかしい」。
コンビニからの帰路
「何が恐怖なんだ?」と考えるも
やはり根拠がない。
自分の他界自体は怖くない。
次女から離れた状態で逝くのは嫌だ。
心拍数がおかしい訳でも
血圧が高いわけでも
筋肉が痙攣している訳でも
何でもない。
なのに
空っぽの恐怖と
自信のある『自信のなさ』は
襲ってくるのだ。
ちなみに
弔事用の切手は置いてないとの事で
普通切手を買った。
受け取ったら
切手のデザインが...松!
松って
「おめでたい感じ」なのでは...
てっきり地味な切手かと思っていた。
使う気になれない![]()
ノーチェックだった。
とりあえず
寒中お見舞い用にあってもいいかと
思うことにした。
...と言うわけで
印刷は全て終わったけど
切手が数枚足りない、で今日は終了。
もし引っ越し前のお友達から
次女宛に年賀状が来てしまったら
寒中お見舞いで
お知らせしなければならないのか
年齢的な精神面を考えて
そのまま連絡が途絶える人に
なるのがいいのか
親友レベルだった人から来たら
保護者宛にお知らせした方がいいのか
などが頭を巡る。
何年も前になるが
夫がお世話になっていた方が
他界されていたのを知らず
夫が年賀状を出した。
後に、奥様が寒中お見舞いで
お知らせしてくださったのだが
今になって奥様の心痛が染みる。
毎年、癖の強い夫に
励ましの一言を書いてくださる
素敵な方だった。
昨年は夫の父親が他界で
喪中ハガキを作ったが
私には良い思い出のカケラもないから
作業的に出来た。
愛のある我が子だと全然違う。
「愛」ってすごいな
と、ある意味体感する。
ーー
ここまで
お読み頂いた方がいましたら
有難うございます。(お仕儀)