ハイのような

おかしなコンディションは終了した。

 

ベッドに入ったら

引力すご過ぎか!とつっ込みたい程

疲労感が襲って来て驚いた。

 

昨日はいつも通りな日だった。

(小さなしくじり付)

 

喪中ハガキ制作に動揺していて

頭がバグったのかもしれない。

 

ーー

 

喪中ハガキのデザイン面の

印刷が終わったら午前2時過ぎてる。

 

想定内だが何時間もかかった。

 

先日頂いた喪中ハガキを作った

お父さんのように

 

やはり自分の子供の...となると

あれこれ動揺して

 

フォントが変!文章が変!

誤字脱字が散乱!

 

という感じになり

半パニックで右往左往しながら作った。

 

続きは

起きてからやろうと思う。

 

デスクトップPCは

色々な想いが蘇るので

触っていなかったのだが

どうしても必要なファイルがあって

久々に電源を入れた。

 

埃っぽかった。

 

動揺しまくって

エアドロップでデータを飛ばそうとしたら

何やってんだよオイ!という展開ばかり。

 

途中で辛くなって頓服薬も飲んだし

次女にお線香もあげた。

 

次女も

自分の喪中ハガキを作っている所を

もし見ていたら辛いよね、きっと。

 

次女のところに

なるはやで行きたいという気持ちが

強く蘇った作業だった。

 

ーー

 

最近テレビで

お子さんを突然亡くされたお父さんが

二度と同じ事を起こしたくない!と

活躍されているという取材を見た。

 

活動家というのかな?

 

私も次女と同じようなケースは

起きてはならない!と強く思いすぎて

何か活動しようかと

暫く悩んでいた時期がある。

 

でも次女に起きた事を

公開することにもなるので 

抵抗があったし

 

少し冷静になれば

仮に何人か救えたとしても


私にとっては

次女が返ってこない事を痛感するだけに

なるのではないかと思った。

 

まだその時は

割とエネルギーがある時期だった。

 

 

活動されているお父さんは

活動中も目を潤ませ

涙を我慢しながらだった。

 

私には出来ないと思った。

 

 

ブログのタイトルになりますが

お父さんが子供達に言っていたのです。

「何があっても生きてください!」と。

 

私が唯一

子供達に言えなかった言葉。

 

何があっても、の「何が」は

我が家の環境は生き地獄。

だから私は責任を持って

そう言う事ができなかった。

 

おまけに

私が言っても全く説得力がない。

 

半世紀生きて

結局いじめられてるだけじゃん!

みたいなしょぼさだし

誰も憧れない。

 

 

誰にも話してはいないが

私は昔から

「生き地獄が続くなら

 生きるのをやめる選択があってもいい」

という考えを持っている。

 

無論、故人に愛情を持っている

ご遺族がいらっしゃれば

辛い、苦しい、ショック、パニック、

鬱になる等色々起きる。


私にも起きてる。

 

 

あくまで我が家のケースだけど

 

「だけど生きていたら

 守ってあげられたのだろうか?

 生き地獄が続いたのではないか?」

 

という力不足を痛感していた想いもあり

亡くなった方を責める事が出来ない。

 

 

次女の命もフェイドアウトして行ったと

今でも思っているけど

次女にとってはその方が楽だったのかな

という半々な想いがある。

 

次女も半々だったから迷ってたかな

と思ったりもする。

 

「寂しいかもしれないけど

 今は辛くはない?」って

時々話しかけている。

 

現時点では答えが出ない事。

 

でも、いつか聞きたい。