次女の言ってた通り

環境が悪い(人間の)。

 

私にはどうにもできない。

 

早く寿命が尽きないかなって

本気で思ってるのに

明日も生きていそうでガッカリする。

 

 

ほぼ引きこもり。

 

運動しない人は

認知症のリスクが高いらしい。

 

そうなる前に逝っておきたい。

 

 

私は今や真面目な人しか

受け付けないようになっているな

と思う。

 

もちろん、ユーモアは歓迎だ。

 

でもそういう人は身近にいない。

 

共感能力が無い人に

囲まれ過ぎていて嫌気が刺す。

 

交流したって

アイテムか?道具か?

それが一生続くのか?

みたいな関係性しか残ってない。

 

 

アラフォーくらいの頃に

母に言われた事がある。

 

「大器晩成って50代らしいよ!

 アンタはそういうタイプかもね!」

 

今や内心

「50代で朽ち果てそうでザマァ!」

って感じだろうな。

 

希望を持たせて

蹴落とすのが得意だし。

 

私、母に何かしましたか?

 

 

今でこそ夫は色々

気遣って合わせてくれるけど

いつまで続くのか正直わからない。

 

親や夫から

罵られ、罵倒され、卑下され、

時に暴力を振るわれ、叱責され、

疎外され、が私のこれまでだった。

 

上記に対応すれば

しつこい挑発に乗ってしまった私が

『それなり』になる。

 

そして

「頭おかしい」で片付けられる。

 

 

今や全く自分に自信がない。

 

ほんの少し自信の有無なんて

気にしないで済む時間がすぎると

またやってくる自信がなくなる経験...。

 

 

良いことを思い出そうにも

次女が小さかった頃の想い出ばかりが

良い思い出になっている。

 

それなりの事をやれば

それなりの事が起きる

 

のが、因果応報なんだろうけど

良い意味での「それなり」など

起きた事があっただろうか。

 

そのように言えば

「被害妄想」と言われてしまう。

 

誰とも

何の話し合いにもならなかった。

 

今や本気で過敏すぎて

病んでるんだろうなって

自分に思うけど

心底生きてるのが嫌だ。

 

私が生きて来た環境で

真面目だった人や

愛情を与えてくれた身近な人は

この世にいない。

 

 

私は『自分が正しい』なんて

思った事がないし

むしろ無知だからと色々知識をつけた。

 

信用がないから知識から話せば

「アンタは自分が正しいと思ってるのか!」

と子供達からさえ怒鳴られて来ている。

 

次女にまで言われた時は

心が折れそうだった。

 

 

周囲の扱い通り

存在価値どころか

自分の命の価値さえ感じた事がない。

 

ただ

「私が生きていないと

 子育てする人がいない」

という現状が

ずっと続いて来ただけだ。

 

 

私は自分の命が惜しくないから

若い頃も

戦地に行って子供達を救うボランティアを

したかった。

 

そこで流れ弾に当たって

この世を去っていたとしても

人生が充実していたんじゃないか?と

時々思う。

 

早くこの世から去りたい。

 

 

神様なんていないのは

次女が他界して痛感したから

もう神様には何も頼まない。

 

サッサと死ね」って自分に

毎日言っている。

 

生きている事が『無意味』という事を

いちいち痛感したくない。