睡眠導入剤も効きが悪くなり

悪夢を見るのが嫌なせいか

昨夜はほとんど眠れず。

 

薬の効果より

警戒心の方が高いのだと思う。

 

 

朝になって

パニック発作を鎮める薬で

時々寝落ちしながら

ベッドで午後まで過ごす。

 

とはいえ

工事の音がうるさすぎて

落ち着かない。

 

私はこの薬がなかったら

今もベッドとソファーの往復なんだな

と最近思う。

 

 

今はぼっちで言ってみれば

他人の言葉というのは何もない。

 

だけど『言葉の重要性』を

ひしひしと感じる。

 

内情を知らなかったとは言え

次女に私自身も酷い事を言ったなと

強く後悔している。

 

 

「私は死んだ後まで

 夫の父親や

 自分の母親に会いたくない」

と夫に言った時

 

夫が

死んだ後まで会う必要がない」

と彼らに対しての怒り込みで

サラッと強く言い退けた。

 

たったその一言が

私の心を少し軽くしてくれたように思う。

 

 

私が長女にかけた言葉がある。

長女はその一言で精神面が

元気になったように思う。

 

もし毒祖母から

長女が言われた事があったらと思い

私は逆の言葉をかけたのだ。

 

言葉って思っていたより大事だなって

しみじみ思う。

 

『大切な言葉』ってあるよなと。

 

 

母の言葉は

もう全て聞きたくない。

 

彼女の良い言葉には『裏』があり

続きがその裏と繋がっていく。

 

 

最近気がついたのだ。

毒親に当てはまるのは父の方であり

母の場合は

重度の精神病なんじゃないか?と。

 

祖父が私に伝えたかった事であろう

晩年に一度だけ発した言葉が

何度も思い出される。

 

その内容を今は書く気になれないが

かなり深い意味があったと思う。

 

母のリアルを他人に話せば

私が重度の精神病に見えてしまう事の

連続だった。

 

それは子供達にも起きたらしいと

長女が病んでから知った。

 

 

「私が安心して眠れる方法は

 永眠以外ないのか?」と時々思う程

トラウマまみれで夢にセンスがない。

 

次女が他界してから

「次女のお仏壇に優しい気持ちで

 お線香をあげられるようになろう」と

思って来たけど

今はそれが出来ていると思う。

 

「亡くなってまで苦しんで欲しくない」

という想いが強い。

 

奇怪な苦しみから逃れる方法を

次女が生きている間に見つけられなかった事に

強い申し訳なさしか襲ってこない。

 

私とて

「亡くなってやっと

 気持ちが楽になるんじゃないか」と

思ってしまう。

 

ましてもや

子供が抱えるには大きすぎる問題だった。

 

私は本当にサバイバーなんだなと

時々痛感する。

 

アニメ『フランダースの犬』の

ネロとパトラッシュのように

この世から去りたいと長年思って来た。

(ご存知ない方すみません)

 

 

私は長女のためにも

自ら命を断たないと決めているが

長生きする努力もしていない。

 

「自然に任せて寿命を待とう」って感じに。

 

本音を言えば

なるべく早く次女に会いたいのは

何も変わっていない。