この体重で迎える秋冬は初めて。
家の中もヒンヤリするようになって
寒さで疲れるのか
他の事をやってもすぐ疲れる。
座ってなかなか動けない
布団からなかなか動けない
疲れてるから。
「必要な休息」だと
言ってくれた方が何人か居た。
私の親が知ったら
「暇だからそうなる!」と
怒鳴られるだろう。
温かい言葉が有難い。
次女も体力が落ちてたから
実は今の私くらいだったのでは?
と時々思う。
何でも隠していたから
多くは分からなかった...。
私はやつれてから
お尻のお肉が激減しており
座っていると
お尻が痛くなるようになってきた。
長女の時は戻ったけど
次女を産んでから腹回りは戻らず
痩せた今は皮がタルタル。
次女がいないのに
「次女を産んだんだよなぁ」と
染みるように感じるのも複雑。
次女が生きていた時は
前向きに捉えていた。
ーー
次女が他界した事を期に
というのが嫌だが
色々起きているんだろうなと感じる。
毒親に関しても、祖父母として
機能していなかった事くらいは
推測がつく人はつくのだろう。
以前なら
こんなに毒母から連絡が来なかった事は
ないくらい連絡が来ていなくて
正直ホッとしている。
止めてくれてる人が
増えているのだろうな。
ーー
夫の父親と私の母は其々に
私の死亡保険金が欲しくて
サッサと他界して欲しがっていた。
其々に
娘たちに私の事を
「ケチ」だと教えていた。
平均的なお小遣いの金額でさえ
「えーそうなの?可哀想!
ひどいお母さんだねぇ!」
「それ虐待じゃん!」とか
イメージまで植え付けて。
ケチという言葉の頭に「ど」をつけて
彼らにお返ししたい。
孫にお年玉さえ渡さない奴が言うな。
私が彼らを善人だと思う日は
永遠に来ない。
夫と話し合って
私は昔から生命保険だけは入っていない。
次女が他界して
半年以上経ってから
「私の葬儀代くらいの保険入ろうか?」と
夫に聞いたが
夫もトラウマなのか答えはNOだった。
『物騒な家』に生まれたのは
夫と私の共通点だが
夫がスネ夫という選択を取って
生きて来たので
分かり合えなかったのだろう。
長女もスネ夫になっていたが
次女はママが好きで
スネ夫にはなれずに長年過ごしていた分
『悪夢がリアル』だったろうと思うし
いじめられたであろう。
振り返ると思う。
次女、苦しかったよね。
ごめんね。
振り回されて
訳がわからなくなっていた自分を
タイムマシーンがあるなら
殴りに行きたい。
私から自責の念は一生消えないと思う。
次女に会ったら
思いっきり抱きしめたい。