何度目かの目覚めの時
「今日は悪夢見なかった!」と
思ったけど振り返ったら見ていた。
毒母が連日夢に出てくるのが
心底嫌すぎる。
繋がっているんですよね
ストーリーが。
救ってくれたのは
私の『咳き込みすぎ』だった。
咳き込み過ぎて目が覚めて
悪夢は中断されていたのだ。
また咳喘息復活したのか?と
思えど夜中だけらしい。
「それ以上ストレス溜めたら
呼吸困難で死に至る可能性も
ありますよ」と
かつて通院中に言われた事がある。
当時の夫は
私に余計ストレスを与えて来た。
私を救ってくれた医師からも
そう言えば「お守り」といって
緊急時用の薬を処方された事があるが
同じ意味なのだろう。
今や緊急時用の薬もないけど
「それで他界でもいい!」って
思う私がいる。
毒母にマインドコントロール
されてしまったような
自ら命を断つ方向性から外れたい。
他の方が前向きに生きようとする
記事を拝読しても
「オマエは余計な情報は持たなくて
いいからサッサと死ね」
みたいな感覚が刺さって見られなくなる。
次女が亡くなっても尚
アノ人は私の死に方にまで関心が強くて
胃の調子が悪くなる。
ーー
次女が亡くなってから
瀬戸内寂聴さんの
講演の動画を見た事があり
「今の時代は三途の川は
木の船じゃ無くて
フェリーよフェリー!」
というような事を
仰っていた話を夫にした。
夫が
「そりゃそうでしょ。
技術者だって行ってるんだから。」
と淡々と答えた。
ものっすごい納得した。
なぜ私は絵巻物の時代を
想像していたのだろうかっ!
頭が古すぎた。
地獄の釜茹での釜だって
クオリティが上がっていて
火力はIHでタイマー付きかもしれないね
とかいったら夫がガチで失笑していた。
そこから時々勝手に
私の想像(妄想)は膨らんでいる。
次女とエジプト旅行に行ったら
リアルファラオに
会う旅になるのだろうか?
「あ、ラムセス二世じゃん!」とか
気軽に言えなさそうだから
旅先も考えないといけないかもしれない。
...みたいな。
若干フェイクをかけますが...
お子さんを亡くされたお父さんが
数十年経ち年老いて
ご自身の寿命を迎えられた時
「やっと子供に会える。
一緒にドライブに行こうと思う。」
と家族以外の方に
最後に仰っていた実話を思い出した。
次女とは二人で色んなところに
旅に出たいなって思う。
自分が亡くなってからの事を考えると
少しだけ希望が沸くし
その方が少し落ち着く。
予定を立て過ぎて
次女に呆れられないようにしたいと思う。