ずっとそれを考えて来ました。
その為に病んでいた次女の
暴言も全部振り返ろうと思いました。
何を伝えたかったのか?
何が必要だったのか?
何故最後は前向きに頑張っていたのに
亡くなってしまったのか?も含めて
ずっと考えていました。
そんな知識は
私が勉強した中には入っていませんし
それを考えることは
自己満足かもしれませんが
いつか次女とお互いが見えて
会話できる状態で会えた時
『安心できるママになっていたい』
という想いが強いです。
私は次女のメンタルを
引き継いだようになってしまいましたが
辛いとか苦しいとかなありますけど
「なって良かったな」って思います。
経験者は良き理解者っていうのは
本当なのだろうと身につまされます。
今の私がそうであるように
次女も理論や何かのノウハウには
ウンザリしていました。
モラ大人は独自の理論で
相手の考えや発想を
ねじ伏せようとして過剰に煩いから
例え学問として正解であれど
頭が受け付けなくなります。
次女が他界してから
次女を振り回していたそういう大人の
存在を知りました。
今でも彼らに因果応報が起きろと
心の底から念じています。
そこまで行くと学問は役に立たない
状態までなっているのは当然で
「相談して欲しかった」とだけ
次女には思います。
私も自分の認知が今は歪んでるとか
今の方向性が世の中で言う鬱だとか
そういうのは自覚していますが
むしろ子供が他界したら
そうなるのは自然な事なんじゃないか?
と思い無理する気がありません。
次女はやつれていませんでしたし
痩せ細っていた訳でもありません。
だけど
今の私の体内と同じような事が
起きていたとするなら
外に出る事ひとつが
私の当時の予想を超えるほど
体力的にも体調的にも
しんどかったと思います。
少ししか気づいてあげられなくて
申し訳なかったと後悔しています。
なのに
最後は頑張っていました。
何が次女を動かしたのか?
どんな言葉をかけたらいいのか
私は分からなくなっていましたが
次女を動かしたのは
「人としての温かい言葉」
だったのだろうと今になって思います。
それに気づいてから
長女にもそのような言葉を
意識してかけるようにしました。
今は連絡が来ても
落ち着いて過ごせている感じがします。
私はそのような言葉は
無縁で大人になりましたが
かつて私を救ってくれた医師の
認知行動療法よりも
「人して温かい言葉をかけてくれた事」
が私自身も原動力になったと思います。
次女には小さい頃から
本当に寂しい想いをさせてしまったと
取り返しのつかない後悔が押し寄せます。
だからこそ次女には
「人としての温かい言葉」が
必要だったんだなと。
私の怒りは
深い哀しみから起きていますが
モラの怒りは
ワガママが叶わないから起きる場合が
殆どだろうと思います。(経験から)
エネルギーが違い過ぎて
彼らが勘違いしている勝ち負けは
土俵が違い過ぎて『勝負』は出来ません。
次女を少しでも理解して
寛大なママで再会するのだという
想いが強くなるのでした。
ーー
毎度ながら長いですが
お読みいただき有難うございます。
(お辞儀)