かつて

医師にそういう薬はないのか

相談したら

「それ、覚醒剤ね」って失笑された。

「それもそうか」と私も失笑。

 

他の医師には

「その状態で違法ドラッグに手を

 出していないのはすごい事だよ」と

言われたのを思い出した。

 

私、昔から

ボロボロなんだよな、結局。

 

 

珍しく晴れていたので

気が紛れるかと買い物に出てみるも

目眩がしてきたり足がふらついたりで

戦々恐々のようになってしまった。

 

だけど

もう低い湿度に耐えられない

頭皮と髪の毛のために

しっとり系のシャンプー類をげっと。

 

これ以上禿げたくない。

 

 

毒母の事で脳内が

飽和状態になっていて

脳内メーカーで図にしたら

毒母まみれだと思う。

 

帰宅してから「頭痛?」と自分に聞いて

やっと自分に

頭痛がしている事に気づいた。

 

 

私はブログには書いていない人達も含め

次女をいじめていた人たちが

意気揚々とお元気に世に憚り

 

次女が他界してしまった現実に

未だ理不尽さと悔しさが強くあって

常に胸は痛むけど涙が出てこない。

 

『人を呪わば穴二つ』ってあるけど

呪ってないのに穴だらけで

次女まで他界してしまった今

「どうでもいい」って思ってしまう。

 

許せない奴は許せない。

 

私の涙は、きっと次女に会えた時

滝のように流れるんだろうと思う。

ダム決壊くらいかもしれない。

 

 

私が他界したら

今度は長女に対する喪失感に

苛まれるのだろうか?と自問自答するが

答えは簡単に出て来そうもない。

 

「だけどやっぱり次女に会いたいな」

と駐車場で空を見ながら思った。

 

次女は若すぎるから

他界したとて余計心配が多い。

 

 

次女が他界しても変わらない

私の親に呆れた叔父が私に

「友達っていうのはね

 自分にも友達が出来るって思ってたら

 何となく知らないうちに出来てるんだよ。

 

 ルナはいい子だからね。

 友達が出来ない訳ないんだよ。」

と言ってくれた言葉を時々思い出す。

 

そういう役に立つ話をしてくれる人は

身近にいなかったよなとジワるし

同じような事を

次女に言える親でありたかった。

 

そんな叔父とは

毒親に30年くらい疎遠にさせられ

毒母からは嘘悪口ばかり聞かされていた。

 

実際に再会した瞬間だけで

『嘘つかれてた』と気づいた。

 

それから叔父とは

遠いのでなかなか会えなかったけど

年に数回電話する仲になった。

 

「出張でそっち行くから

  今度ご飯食べに行こうよ」と

言ってくれた時

私の目からは涙が流れていた。

 

そんな優しい言葉は

かけてもらった事がなかったのだ。

 

マウントも取らない圧もかけてこない

他愛もない話をする目的で

ご飯を食べに行こうなんて初めてだった。

 

結局パンデミックで実現出来ず。

 

 

ちなみにモラ達から

「全然外食してないからぁ〜

 ご飯食べに行こう?(支払いは私)」

なら数え切れないくらいあった。


フレネミーな友達とご飯に行っても

マウント取ろうとされるだけで

充実しなかった。

 

二度と

心が醜い人と食事などしたくない。

 

 

再会してから

叔父はずっと「ルナはいい子だよ」と

「ルナはこの歳になっても可愛い」と

私の親に言い続けてくれていたらしい事も

次女が他界してから初めて聞いた。


ちなみに毒母からは

高校を卒業したら友達は出来ないと

言われ続けていた。

 

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ブログを通して出逢えた方々の記事や

頂いたお言葉も時折思い出す事があり

何とか自分を保ててるなとジワり

時々勝手に感謝しております。(お辞儀)

 

長々となりましたが

お読みいただき有難うございます。