祖父が生前よく言っていた。
次女が生まれた頃には
もう他界してしまっていた。
「三つ子の魂百まで。
この子は優しいから大丈夫だね。」
と祖父が長女を見ながら言った時を
よく覚えている。
祖父が他界してから
毒母はやりたい放題になり
天下を取ったようにエスカレート。
連なるように
父もストレスを爆発させた
ような感じになっている。
次女は毒母が狂気に満ちた時期に
大事な時期だった。
スネ夫な夫も狂気に満ちていた。
祖父が生きていたら
次女の3歳までの経験だって
あんなに悲惨じゃなかったかもしれない。
祖父の存在って凄かったんだな
と時々思う。
私は引きこもってると
誰とも話さないで1日が過ぎるし
夫に会うまで5〜6日
誰とも話さない日の方が多い。
次女には毎日話しかけているけど
次女がいないショックとは別に
そこに苦痛を感じたことがない
慣れについて考えてみた。
私には3歳前の記憶が少しある。
当時住んでいたところが
子供がいない所だったのもあるけど
私はいつも一人ぼっちで遊んでいた。
幼いからって大人の誰かがいる
って事もなかった。
あの頃に慣れたんだなって思った。
朝から夜まで誰とも話さなくても
何も感じなかった。
幼いなりに理系だったんだなと
今は思うが
観察や実験が好きだった。
それが「三つ子の魂」の一つに
なったのだろう。
次女の
「三つ子の魂百まで」では
長く生きられなかったと思う。
だからって
こんなに早いのも
胸がつぶれるような想いがある。
私は3歳までに
毒母からエネルギーを
吸い取られすぎたので
ずっと疲れているんだなって思う。
2歳くらいの頃
りんごとナイフが
よく一緒に置いてあった。
「食べたきゃ自分でやれ」
って感じに。
一度チャレンジしたけど
出来る訳がなくて
手をかなり深く切った記憶がある。
その後もりんごとナイフは
ずっと置いてあった。
食べたいけど食べられなくて
我慢していたのを覚えている。
丸かじりを知らなかった。
祖母の家で過ごした時は
そこまでお腹が空いたことも無いし
目の前に刃物があった事は
一度もなかった。
私はエネルギーが枯れたまま
一生を終えるんだろうなって思う。
明るく振る舞っていても
エネルギーが湧いてくる訳ではなく
中身はいつも疲労困憊だった。
若い頃から
「何故、みんな疲れないんだろう?」
と私の中で強い疑問は常にあった。
次女もそんな感じだったのかな。
長女はエネルギッシュなので
そこは心配した事はない。
次女の3歳までを気にしたのは
私だけだったし
私の疲労困憊を気にしてくれたのは
次女だけだった。
子供を亡くしたショックで
亡くなってしまう母親も
中にはいるらしいと知った時
そのお母さんが羨ましかった。
私の母親度が足りないのか?と
思った事もある。
私の心臓はお元気すぎて
また明日も動いているんだろうな
って時々嫌気が刺す。
自律神経は乱れっぱなしでも
私の心臓はお元気なのだ。
「そこだけは死守かよ?」って
自分の自律神経を責めてやりたい。
毎月1日は
「○月だけどまだ生きてる...」って
自分を恨めしく思う日になった。
魂と体の相性は相当悪いようだが
そろそろ離れてみないかね?
って自分に強く提案している。
私にとっての「明るい未来」って
この身体から離れて
次女とほんわか過ごす事になっている。
ーー
今日も暗くてすみません。