ので、少し吐き出します。
苦手な方はスルーされてください。
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用事を足しに外に出て
目や耳に入る情報から
次女を想っては「勝手に傷つく」が続いた。
「辛すぎる...」と思い
来週はなるべく外に出たくないという
思いが強くなり体調的に無理をして
後日でいい買い物もした。
今は、ぼっちも悪くない。
ぼっちと言っても
次女のお仏壇と一緒だし
次女が居るかもしれないから
ぼっちのようでぼっちではない。
水分も取っていなくて
ちょっとヤバいなと思ったけど
流石にお腹が空いたなと思い
パンコーナーの大きいスーパーへ。
商品を見ている時に
「アタシこういうのすっっっごく好き!」
という毒母のセリフとシーンを思い出す
商品に何点も出逢ってしまった。
『大事なことは3回言う』ってあるけど
毒母は何十回も言うから
耳に頭にこびりつく。
そんなセリフを聞いても
私にとっては胸糞案件でしかなく
間違えても「母に買ってあげよう」
なんて思わない。
私はお米にもトラウマがあって
家では余り食べない。
同居していた時に(短期間で逃げました)
「お米代はウチで出すよ」と言ったら
誰がそんなに食べるのか?と思うほど
毎回お米を炊きまくり
毎度お馴染み恐怖の常温保存。
それだけでもトラウマになりそうなのに
母がご飯茶碗3杯くらいは入るタッパに
詰めていた数個のうちの一つを抱えて
一人でこっそり
お米をガツガツと食べてるシーンを見た。
こっちは吐きそうになったが
見ないフリをして立ち去った。
地獄の餓鬼ってこんな感じ?
って思った。
一人で過ごす日はお米を炊かない。
次女が他界してから
芋とカボチャが主食になっていて
「私はナニ人だろう?」って
自分に突っ込んだ時期もある。
お仏壇には本来
炊き立てのご飯なのだろうけど
次女もあまりお米が好きじゃなかったし
「お仏壇のお米どうしよう...」となり
今は時々炊いて小さく冷凍したものを
ホカホカに温めてあげるようにしている。
信仰という意味では熱心では無くて
気が引ける時があるけど
毎日炊いても食べられない。
一人でお過ごしの方は
お仏壇のお米はどうされているのだろう?
と時々思う。
次女が他界して「勝手に傷つく」のは
愛の証でもあるので
ある意味必然なのだろうと思っている。
だけど
いちいち毒母を
脳内がVR並みに思い出して
超胸糞案件になるのは嫌すぎる。
「次女だけ」にしたい。
次女が他界してからも毒母に
「アタシこれすっごい好き!」は
何回も言われていて
「アンタ誰だよ?」って内心思いつつ
頭にこびりついてしまった自分も嫌だ。
次女亡き今
ひたすら強く不快なだけなのに
「母に買ってあげよう(ハート)」なんて
間違えてもなる訳がない。
そういうのが続いた時、毒母に
「次女が亡くなったからって
母の母親のようにはなれないよ」と
柔らかめに言った事がある。
暫くムッとしていた。
期待を裏切らず
貧しい人のおかずの作り方を
いかにも母親っぽい雰囲気で説明が始まり
今度は貧乏アピールを始めた。
あの生態系に付き合って
平和に同居できる人って
地球に居るのかなって時々思う。
その生態系から
私を抜いて欲しい。