生前の次女の気持ちが

よくわかる時がある。

 

「環境が悪い」

 

 

次女が他界して尚更

気の合う人など近隣にはいない。

 

顔見知りの人たちは

転勤族で皆引っ越した。

 

遺族というザックリした括りの中で

人付き合いが出来ないほど

不器用でもあるので

そういう集まりも探していない。

 

 

先日長女に会ったけど

気分次第で将来の展望が変わるのは

発達問題もあるのかもしれないが

しっくり来なかった。

 

ネガティブな自己主張の強さは

自分を変える気がない証だよな

とも思った。

 

「聞いて私が何をするんだろう?」

「どんなコメントが欲しいんだろう?」

と考えてしまい

コメントが出て来ず。

 

聞き流せばいい話なのかもしれないけど

何度も何度も聞いているのと

私はクソ真面目に聞いてしまうので

コメントに困ってくる。

 

「聞き流し」のスキルがない。

 

昔、海外で単身で暮らす前に

「自分の発言に責任が発生する国なので

 発言には気をつけるように」

という忠告をされた。

 

「えー!?自分のだけでいいの?」と

言って周囲を驚かせた事がある。

 

何故、周りが驚いたのか

当時は全然わからなかった。

 

余裕のよっちゃんだった。

 

「聞き流し」が出来ないのも

功を奏していたと思う。

 

 

次女が他界してから振り返れば

私に残っている友達は

フレネミーばかりだった。

 

「そりゃー会う気も

 大して出なかったよね」と

今更ながら自分に思う。

 

ただ、次女には会った事がないのに

お線香を送ってくれる友達が居て

その友達の存在にジワった。

 

なぜそこまで?と思ったけど

彼女は家族を亡くした遺族だったので

よく知っているのだと思う。

 

次女が他界した時も

葬儀が終わってからも色々あった中で

電話をくれて一緒に泣いてくれた。

 

遠すぎて全然会えないのだが

「こんな温かい友達いたんだ...」って

初めて知った。申し訳ない。

 

 

亡くなってから知れば

次女もフレネミーのような友達に

ネットもリアルも囲まれて

悪質ないじめに遭っていた。

 

次女は生きる気がなくて

もしかしたら衰弱死するんじゃないかと

一年以上感じていた分必死だった。

 

それに対して

夫も長女もシカトをしていたし

むしろ疎外していた。

 

そして

精神科って何の役にたった?と

今でも思っている。

 

死にゆく我が子を見ているようで

毎日心痛が起きるほど

心配していたのは私だけ。

 

結局衰弱していた事が仇となり

命を失ったと私は考えている。

死に至る場合がある、な

レアすぎるケースがヒットした。

 

次女は「今じゃない!!」と

思っていただろうとは思っている。

 

 

恐らく今になって

夫や長女は

死にゆく私を見ているような

感覚にはなっているんだろうなと

様子を見ていて思う。

 

だけど「それでいいよ」と

思っている私もいる。

 

因果応報は

誰にでも例外なく起きるべきだという

強い考えを持ってしまったが故。

 

 

次女が亡くなった事で

私の活躍が増えると狙っていた

最低な人たち。

 

人柄がどうにかしちゃってる人を

私の資格狙いで何とかして欲しい親戚。

 

私が興味なさそうに返事をしていたので

「そうやってしか生きられないなんて

 可哀想だと思わない?」と

同情を狙って来た。

 

「思わないし、思う余裕もないよ。

 可哀想だと思える余裕がある人が

 助けてあげたらいいと思うよ。」

と言ったので

当然険悪な雰囲気になった。(想定内)

 

そうすると、その後の

次女の供養までシカトされた。

 

次女、関係ないじゃん。

 

次女を可愛がっていたのは

フリだったのか

次女への気持ちがその程度だったのか

と示された気がした。

 

 

どこをどう拾っても

私はなるべく早く次女の所に行きたい。

 

それまでに余裕を作るため

そんな人たちとは関わらなくていい。

 

 

次女が他界してから

『条件付きの愛情』ってやつを

色々垣間見て疲れてしまった。

 

 

一人でいても

時々次女がクスッと笑っていた

しょーもないおふざけな話を

話しかけたりしている。

 

亡くなる前は

「ボケもツッコミもイケるよ!」

と言っていた次女。

 

早く会いたいな。

 

ーー

 

長々となりましたが

ここまでお読み頂いた方がいましたら

有難うございます。