不協和音は比喩ですが...

ちょっと変な話かもしれません。

(自信なし)

 

 

「意識できる部分を魂」として

「他を身体」とするなら

魂と身体が不一致な日々を

送っている気がする。

 

魂はもう身体と離れたいのに

身体は生きる気があって

魂を離さない、みたいな。

 

 

神様っていなそうだし

結局自分の脳なんじゃないか?とか

考え始める。

 

 

生きた人間を呪うのは

生きた人間だと思う。

 

かつて心霊系が

流行った時代があったけど

「生き霊」が憑いてるなら

夫の父親か自分の母親だと思っていた。

 

今は私の母だけになったが

「そういう人のエネルギーって

 どこから出てくるんだろう?」

くらい凄まじい。

 

彼女に会うと容易く巻き込まれる。

 

証拠を残すために

一度は「母親らしい」事をする。

 

続く時は卑しい魂胆がある。

 

その連続を知っているのに

会えば何故か巻き込まれる自分に

腹が立つし

会わないに越したことはない。

 

会わない間にも「嘘の噂」という種は

毎回撒かれていて

やってもいないことで因果応報なのか?

やってもいないことで自業自得なのか?

と私は悩まされて来た。

 

だから会いたくない。

 

ーー

 

「次女を苦しめた大人は

 次女に全員謝れ!」って

次女が亡くなった時に思っていた。

 

その想いを私が唯一信頼出来る

叔父が聞いてくれた。

 

 

だけど現実問題

 

人を苦しめる奴に

そんな人がいる訳がなくて

次女の生前と

変わらない生き方をしている。

 

「インターネットを通して

 悪い大人と知り合わないように」

とテレビで言っていたけど

 

悪い大人達が

リアルにいる子供は

どうすればいいんだよ?って

思ってしまった。

 

私一人では多勢に無勢のようになり

何の力も及ばなかった。

 

次女の苦しみを想像すると

きっと私の想像よりも

特大に苦しんだであろうにと

私も苦しくなる。

 

 

「次女を返せ!」って叫びたくなる。

 

そう言ってる夢を見て

私は夢で発散してるのか私?と思った。

 

 

私はもう「無理」をしたくなくて

前向きにもなる気はないし

明るい未来にも興味がない。

 

若くして亡くなってしまった

大切な人がいたら

遺族一人一人の年齢や性格や

故人との関係性にもよるとは思うけど

 

色々な遺族の方の

ブログやSNSを拝読して来て

 

私がこの状態なのも

「人として自然な事の

 一つのケースなんじゃないか?」って

思うようになって来た。

 

死にたいんじゃなくて

私は次女が見えて話しがしたいし

だからこそ

それが可能であろう

次女と同じ姿になりたい。

 

安心してほっこりするような時間を

次女と過ごしたいなって思う。

 

意地悪な人たちが

もしゼロ環境だったら

生きていたって出来た事じゃないか...

 

 

きっと寿命が来るまで

私の魂と身体は不協和音なのだろう。

 

日々がとても不快だけど

理論上「自然な事」なんだろうと思う。

 

ーー

 

このような内容にも関わらず

お読みいただき有難うございます。