私が長女が小学生の時に
覚えてほしくて
言っていた言葉でもある。
次女が他界した今
夫や長女が
「私との一期一会」を
気にしている気がする。
夫には許せない事は
沢山あるけど
ここ数ヶ月は感謝もしている。
夫も長女も
私が生きていたくない事は
察知していると思う。
二人に感謝しているのは
私がこんな生態系になっても
文句や不満を言わないで
そっとしておいてくれる部分だろう。
夫からの「生きて欲しい」は
伝わってくる。
少しでも生きるために
何かを見つけたらと思っているのか
少しずつ大掃除をしているといえば
お掃除グッズを100均なら尚更
沢山買ってくれようとする。
理論上は感謝なのだけど
私の気持ちが感謝に至れない。
マジで心が狭いなと
自分に思う事はあるけど
夫と居ても夫との間で起きて来た事が
フラッシュバックされてしまう事が
多くあるなと思った。
私の人生はトラウマだらけらしく
穏やかな部分を思い出そうとしても
なかなか難しい状況にある。
特に母とは
「穏やかに過ごした」記憶が全然ない。
というか、そんな事実もないのだ。
父とは楽しかった想い出は
少しはあるけど母とはない。
怪我をしても傷を洗ってくれた事もなく
食毒液を渡されただけで
手当をされた記憶もない。
それどころか傷口とタイツがくっついた
部分をベリっと激痛が走るように
剥がされた記憶が何度もある。
社会人になってから
「誕生日に何か欲しいものある?」と
聞いたら子供達に「現金」とかいう人が
母親なのだ。
子供達に「お手伝いは虐待」
「叱られるのは親のストレス発散」と
教えていたのが母であり夫の父であり
母は「死んだら清清する」と教え
夫の父は「過労死で殺せ」と教え
それを知った時って
もう子供達が病んでからだった。
私がしこたま大変になっても
子供達が苦しんでいても
彼らはほくそ笑んで生きて来ただけで
何の責任もとってはいない。
私や夫の前では
孫を可愛がる「フリ」をしていた
だけだった。
裏を返せば実は....だらけで
恨みしか湧いてこないほど
あれもこれもトラウマだらけである。
夫の父親は他界しているが
因果応報のように亡くなっているし
私は支障がなくなったという認識で
彼には悲しみも何もない。
「地獄に居ますように」と
「次女に近寄るな」とは
密かに強く願ってはいる。
私の母も因果応報を経験するまで
長生きして欲しいと思っている。
私は生きることに
とても疲れていて前向きとかいう
概念は持てそうもない。
だから「ただ生きているだけ」で
毎日が過ぎている。
それをキャパに入れてる夫は
すごいなとは理論上思うし
理論上そこも感謝もしている。
理論上なのは
気持ちが全然ついていかないからである。
生きることには
とっくに疲れ果てている。
何の因果応報だろうか?
私は鬱っぽいまま寿命が短くなって
自然死がいいなと思いながら
ただ毎日何とか生きている。
ーー
このような内容のブログにも関わらず
お読みいただき有難うございます(お辞儀)。