こんなにじっくり

物事を考えた事がなかった。

 

一人でマイペースも

いいかもしれないって思う。

 

 

私は次女が生きている事も

亡くなった事も

「あたりまえ」だとは思った事がない。

 

子供達が五体満足で生まれた事も。

 

 

ワガママな人の「あたりまえ」は

他人を巻き込んだ自分の定義で

『自然に起きる事』ではないと

改めて思った。

 

 

世の中の色んな事が

実は難しい事が多いのに

 

今は「自己肯定感」とか

「共感能力」とか難しい問題が

軽々しく言葉として使われている(私圏内)。

 

本当に理解できている人が

軽々しく言葉として使っている人の中に

実は全然いないっていう(私圏内)。

 

 

私や次女は

他人を背負いすぎたと思う。

 

私はもっと次女と一緒に過ごす時間を

作るべきだったと

とても後悔している。

 

不自然な事を

「あたりまえ」とする人達から

離さなければならなかったなと。

 

 

次女が亡くなってから

どうやって生きていいのかわからなかった。

 

だから「ひとつだけ」テーマを決めて

動いていたら

「今あるものを大事にしよう」と

身の回りの物に思う様になった。

 

私も次女もそれぞれに

元々そのようにしていたのに

他人のペースで引っ掻き回され

自分のペースがわからなくなったと思う。

 

次女が病むずっと前から

私はもっと次女と過ごすべきだった。

 

 

他人に背負わせない、

他人を背負わない、ということを

大事にしようと思った。

 

他人の口実や言い訳を聞いて

他人を背負わない様にしようと。

 

人によっては

手伝いはしてもいいけど

もう他人は背負いたくない。

 

背負って欲しいのは

モラばっかりだし。

モラが相手だと「お互い様」にはならない。

 

 

イマイチ考えがまとまっていないけど

今の所そんな感じ。

 

 

夫は気分ムラもなく過ごしているけど

体調がよくなさそうである。

 

夫には私より長生きしてもらわねば

私の手に負えない事が

ある意味自然に沢山起きると思うという事は

夫に通じたらしい。

 

健康である事も「あたりまえ」ではない。

 


次女が亡くなるまで

メチャクチャな「あたりまえ」が

多く聞こえすぎたなと思うし

次女も訳がわからなくなっていただろう。

 

次女に対しては胸が痛むというより

胸に刺さる自責がある。