そう分かっていても
後悔は尽きない。
長女と私が揃うと
お互いがお互いの為に頑張って
明るく過ごそうとしているのは
きっと長女も感じていると思う。
お通夜の日は長女が
次女の棺から一晩中離れられず
朝を迎えていた。
私と長女は次女が前向きになって
3人で明るく話せる日を
待ち望んできた。
だから次女が他界してから
明るく送り出そうとしていて
話し合っていないけど
自然にそうしていた。
次女が
「疎外感」を感じないように。
今でも
私と長女は2人で話している時
「次女も入る?」と言って
お仏壇の前で3人で話しているように
話をすることが多い。
次女と3人で出かけるのは
楽しかった。
最後に3人で出かけたのは
2年くらい前だけど
プラネタリウムで長女と私は
心地よい大爆睡をしてしまい
次女に「もー!」と言われていた。
こんなに早く亡くなってしまうなら
もっと3人で出かけておけば良かった
とよく思う。
長女も独りの時に
闇堕ちしてヤバくなれば出かけるし
独りの時に涙が出てくると言っていた。
次女がお菓子作りに興味を持って
嬉しくなった私は
張り切って初心者用のお菓子作りの本を
買ったばかりで
まだ何も作っていないのに
たこ焼きを一緒に作ろうとも
言って次女も張り切っていたのに
次女は他界してしまった。
私と一緒にパンを作ったことはあるけど
それが一緒に作った最後かよ...って
凹みまくっている私がいる。
私はお菓子作りが好きで
マンネリ化したようなものばかりだけど
ちょいちょい作っていた。
次女と一緒にお菓子作りかぁと
勝手に期待しちゃっていた分
今や電器屋さんで
ワッフルメーカーを見ることすら辛いし
他界してから一度も
お菓子は作っていない。
独りで引きこもりのような日を
過ごしても快適ではないけど
今の私にはそんな日々の方が
合ってるのかもしれないなと思う。
誰かがいて無理をすると
精神的ダメージも発作のように
やってきてコッソリ堪える。
周りは「少し回復した」とか
「少し元気になった」とか
思っているんだろうなと思うけど
無理をして取り繕っているだけなのだ。
「後悔のない人生を」と
子供達に言って来た私が
今や後悔まみれで
何の手本にもならない。
私は相変わらず
次女が亡くなったショックの方が
大きすぎて余り涙が出てこない...。