次女が最後に身につけていた
ブレスレットを直した。
救急隊員が脈が取れないからと
切ってしまっていたのだが
その時は知らなくて
他界して帰宅した時に
散らばっていたのを拾い集めた。
脈が取れないって
何度も救急車の中でも聞いたけど
後から知れば
死期が近い人の特徴だった。
脈が取れた時
もう心臓が止まりそうだった。
ブレスレットを直した事自体は
きっと次女なら「ありがとう」って
言うと思う。
直す時に辛いかと思っていたけど
意外と平気だった。
そのブレスレットは
私との最後の方の貴重な
前向きな思い出で
二人で一緒に身につけていた。
次女が病む前は
ブレスレットには色々
温かい思い出がある。
次女もそれを思い出していたのか
一緒に作った作品を壁にかけていた。
次女が他界する前の
カメラの画像が触れなかった。
誘ったけど
(精神的な症状が出るから)行けない
と言われ、代わりに
次女から頼まれて撮ったものが
沢山入っていたカメラだった。
だけどやっと画像を移動した。
こっちの方が作業的には
予想通り辛かった。
次女が他界してから
触れなくなってしまっていたPCが
カメラ用でもあるのだけど
最速で移動したし
残しておきたくないデータも最速で消した。
キーボードが埃っぽかった。
手放そうかと思ったPCだったけど
夫が手放さないように言ったので
今はとりあえず保管のようになっている。
次女だけでなく
夫も少しずつ前向きになってきていた。
夫と「たまにはいいんじゃない?」と
行列ができていた和菓子を
次女の分も買って帰った。
「意外と美味しくないね
」
とか他愛もない話をした
二日後に他界しているなんて
誰も想像していなかった。
次女が
こんなに早く亡くなってしまうって
予め分かっていたら
大奮発して色んな事をしてあげたかった。
人っていつ亡くなるか分からない。
私もだと思った。
だから
「できる事をやっておこう」って
思った夜だった。
病院に行っているのは
「自分のため」では殆どない。
薬だけどっさり増えて
見るだけで
「なんかもういいんだけど...」
と思う私もいる。
暑さでお花がクタっと倒れてしまって
ガッカリした朝。
体調がなんとかなりそうな時に
お花を買いに行きましたが
この辺の花屋さんは「仏花」と書いた
お花は超お年寄り向けでしかなく。
同じくらいの予算で
自分でコーディネートするも
飾ってみたら予想と違って
「イマイチでゴメン」と
お仏壇に話しかける私。
他界した人と
せめて会話が出来たら
こんなに辛くないだろうなって
時々思います。
次女なら何時出て来てくれても
大歓迎なんだけどな。