昨日は外に出ず

安静にしながら過ごしました。

 

全然食欲が沸かないので

YouTubeで食べ物をみてみたり。

 

「美味しそう」「食べてみたいな」

とか一瞬思うのですけど

いざ目の前にすると

身体が「いらない」っていう。

 

老衰していくお年寄りって

こんな感じなのかな?と思ったり。

 

 

少し無理して動くと

強く動悸がしてくるし

動けば動くほど動悸は強くなり

息は苦しくなってくるしで最悪。

 

横になって目を閉じてみたり

横になりながら

スマホで検索してみたり

 

ただ一日が過ぎ去るのを

待っているような感じがする。

 

 

ネガティブな事を考えすぎないように

可能な時は

なんとなくテレビをつけっぱなしにして

音声を流しておくようにしているけど

 

日本のニュースは事件が多くて

なんとなく聞こえていても

今は耐えられない内容が多い。

 

チャンネルを変えるか消す事になる。

 

 

事件は嫌だなと思い

ネットでエンタメニュースを

見てみたけど

VIVANTの続編が出来ると知り

また勝手に深く傷ついてしまった。

 

次女が好きで

珍しく熱く語るドラマである。

 

 

次女の死因は自死ではないけど

他界してから知った

生前の苦しみの数々は

大人でも耐えられたものではない事が

含まれていた。

 

たった一人で苦しんでいて

脳内はパニック状態だったと思う。

 

何かを相談しそうにはなって来ていて

話してくれるのを待っていたら

他界してしまった。


今でも

「気づいてあげられなかった」

「守ってあげられなかった」という

私の自責の念になっている。

 

 

長女の次女に対する考えを聞いた時

「立派だな」って思った。

でも自分を奮い立たせている部分が

あるのだろうとも感じた。

 

それと比べると今の私は

長女には申し訳ないほど

弱りすぎている。

 

 

そんな事を思い出しながら

「夕食を食べよう」と何か作ろうとすると

身体がまず拒絶する。

 

胃がやられているので

脂っこく無いもので

柔らかいものに限られている。

 

何度も気を取り直して

一人用のお鍋のもとの中に

野菜少しとお魚一切れと

うどん半玉を入れて煮込んだ。

 

うどん半玉なのに

幼児量くらいしか食べていないのに

吐き気という拒絶反応。

 

時間をかけて何とか食べた。

 

 

キッチンに立っていると

現れた次女が時に私の肩に顎を乗せて

「背後霊」とふざけてやっていた。

 

そんなの流行ってるの?と言いつつ

私も時々次女にやっていた。

 

壮絶な日々でも

そういうささやかな時間はあって

少しずつ増えていた事が嬉しかった。

 

今や「背後霊」は複雑である。

 

 

一人暮らし中の長女が来た時は

何かを話し合った訳ではないけど

お仏壇を前に

自然に次女も参加しているように

会話する時間があるのですが

 

長女が「今じゃリアル魂参加かよ」と

寂しそうに言っていた言葉が

強く印象に残っている。

 

 

とりあえず

胃腸が何とかなるようにしなくては。

 

ーーー

 

「読んだよ」の代わりに

いいねを押して頂くと

励みになります。(お辞儀)