次女が他界してから
私の中にあるもの。
私の余裕のなさ
次女の精神状態により
生前の関係性は良好ではなかった。
ただ、細やかな部分は
細やかに変わらず続いていたと思う。
そして
次女が大きく頑張ろうとした時
次女の自律神経は私の予想を超えて
荒ぶってしまったのだろうと思う。
勝手に「あともう少しだ」と
希望を持った私に訪れたのは
次女の他界だった。
本人も「まさか」の展開
だっただろうと今でも思っている。
次女が亡くなってから知った
人間関係もある。
仲が良かったと思った人が
そうではなく
切れそうな関係性だった人が
手厚く接してくれ...
私の判断力は随分外れていたなと
痛感した。
それは他界してからも認識出来ていれば
次女にも起きただろうと思っている。
毒母がメチャクチャにした話の
原点は確認できた。
誰しもが
『にわかに信じがたい』あの母の
これまでの所業と
だから気をつけてねと
私はもう庇う守るエネルギーがないと
兄弟にも伝えた。
心配をかけまいとしたのか
大丈夫である事を感じさせるような
話をしてくれた。
アダルトチルドレンの世界でいうと
私はスケープゴート(責任を負わされる人)
兄弟はゴールデンチャイルド(贔屓された人)
という育ちではある。
何年も破綻したような兄弟関係だったが
歳をとって昔のように仲がよくなった。
ナルシシストが親だと起きる育ちだが
贔屓されて育とうとも
『愛されてはいない』のだ。
母を満たす事がなければ
「お前にはもう用事がない」という
存在になってしまう。
他界した猫のように。
年老いて介護が必要になってきたら
「死んだら清々する」と言われ始め
雑な扱いをされるし
本当に清清していたのは一生忘れない。
それが彼女の生き物との関係性。
『使い捨て』なのだ。
私には兄弟愛はあるから
壊されて欲しくないと思っている。
いくら贔屓して育てられようと
何かあった時に駆けつけたり
翻弄したりしたのは私だ。
そんな歴史もあって
年老いてから
再び仲良くなったのだろう。
育ちでも結婚してからも
疎外される事が続いていた私の中に
ずっと疎外感があった。
次女が他界してしまった事で
疎外感を強く感じているので
あろうと思う。
次女が生まれて
疎外感が薄くなったし
感じなくなった時期もあった。
他界してまた
次女が生まれる前の感情が
押し寄せていると思う。
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有難うございます。
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後にアメンバー記事に変更します。