わが在住国の刑事ドラマを見ていて、以前ずっと違和感を感じていた事が最近になって今更ながら何だか気がついた。 

この国には、殺人に対する時効というものがない。 だから、昔に起こった解決していない殺人事件がなんらかの拍子に再調査になり、犯人が見つかると、それが例え半世紀も前のことであっても逮捕される(実際はもうちょっと複雑だと思うけれど)。 日本みたいに、趣味で時効を迎えた事件を捜査する時効警察は存在出来ないのだ(日本も今年から改正されたようだから時効警察は趣味で事件は捜査出来なくなくなってしまうのか)


ドラマは事件が起こる場面から始まり、犯人は見つかる事ないままCold Case(迷宮入り)の棚に移され、何年もの時を経た後、ふとした証言や新しい証拠から事件は再び刑事や当事者達の目に触れる。 
23転する証言や露見する嘘、後悔・葛藤の果てに大体は事件解決に辿り着くのだけれど、事件を起こした当時はティーンエージャーだったりする犯人が、お縄を頂戴するときには、よぼよぼのおじいちゃんだったり、結婚し、人を殺した当時の自分と同じような年頃の子供がいるお母さんだったりする。


時効がないと言うことは、犯人にも、殺された人の家族にもまわりの人の心にも事件を終わらせる一区切りがないと言うことになると聞いた事がある。 けれど、実際には、家族や大切な人を殺された人間にしてみれば、一定の時間が経てば人を殺めた事が“無かった事”になるなどと言う法律は受け入れがたい事実だと思う(だから日本の法律も改正されたのだろう)

私には(犯罪と言う区切りでの)殺人を犯した知り合いも居なければ殺人によって家族をなくした経験もない。 だから、ドラマを見て犯人や家族、殺された人間に自分なりに感情移入してでしか、その心情は想像出来ない。 けれど、このドラマを見ていると心がひりひりと痛んでくる。 衝動的に人を殺し、何もなかったように生き続け、いつ何の拍子に自分の犯した罪が舞い戻ってくるのかと言う恐怖と常に隣り合わせの犯人。 殺された大切な人を思い、迷宮入りの事件を思い、事件に幕を降ろす事の出来ない人達。 事件が再度幕を開けても、逃げ切りたいと言う自分の欲のため家族のために、“自分は関わっていない”と言う嘘を重ねる犯人の罪悪感、嫌悪感、憔悴と言ったもの。 そして多くの犯人は必ずしも凶悪犯でもなく本当に普通の人が本当にその場の衝動で人を殺してしまうという悲しい事実。 犯人が実は自分の身近な人だったり家族だったりする被害者達。    

ドラマは大体犯人が自白し、主人公や大切な人を殺された人が、思い出の場所で殺された当時の姿のままの被害者のイメージと向き合う場面で終える。 

けれど、実際は、ここからまた次のドアを開け続け、いくつもの“何故? どうして?”と向き合って行く事になるのだろうと思う。 

ストーリーはあくまでフィクションだけれど、大体の事件など、計画でない限りは、このドラマに似たような状況なのではないかと思う。  

このドラマを見る度、ほんの少し、今、たった今、人を殺そうとする人が自分の大事な人の顔を思い浮かべてくれたら、、殺そうとしている人の家族や帰りを待つ人のことを考えてくれたらと思ってしまう。 そして、時効のない国で、新しい生活を始めているかもしれない殺人を犯した人間がどういう心境にいるのかと果てしなく答えの出ない問いに没頭してしまう。 

何というか、ここまで物悲しい気持ちにさせてくれるドラマはない。