私は、何不自由なく育ってきた。
小さい頃は、ほしいものはある程度買ってくれたし、
虐待を受けているわけでもなかった。
私は、長女として生まれた。
お父さん、お母さん、弟の4人家族。
弟とは、年が6個離れている。
親戚にも子どもが多くて、私が一番年上だったから
いつもお世話係をしていた。
子どもの面倒を見ることは好きだったし、
「いいお姉ちゃんだね。」「頼りになるわ。」
と周りの大人が言ってくれて嬉しかった。
でも、子どもと大人の間に挟まれていたのは苦しくもあった。
私は「面倒見のいいお姉ちゃん」でいないといけないから、
わがままなんていえないし、甘えたりもできなかった。
だから今でも、人に頼ったり甘えたりすることは上手くできない。
家族の前で弱みを見せることも、昔から苦手だった。
おじいちゃんとおばあちゃんは、私が小4の頃までは一緒に住んでいた。
おじいちゃんはお偉いさんで、部下が何人もいて慕われていた。
幼いながらに、お偉いさんたちに家でお茶出しをすることもあった。
長女だから、といって一番大事にしてくれていた。
あばあちゃんは本当に寛容な人で、
私と似ているところが多く、なんでも受け止めてくれた。
だから、相談しやすい相手でもあった。
お父さんは、昔の男の人って感じ。
家族と友だちを大事にするし、しっかり自分の芯がある人。
尊敬するところがいっぱいある。
お母さんは、友達のような存在。
お母さんの前では素が出せていた。
お母さんのことは、昔も今も大好き。
苦労してきたのも知ってるし、
必死に育ててくれたことも分かってる。
感謝だってしてる。
でも、私は最低だから
「お母さんのせいで」
と思ってしまったことが人生で何回もある。
お母さんが長い間、精神科に通っていたのは知っていた。
毎日薬も飲んでいたし、ヒステリックになる時も何度もあった。
お母さんは心の病気と闘っていた。
それが、私と弟を苦しめる場面を生み出した。
例えば、ご飯をこぼさないように食べている時もじっと見られること。
こぼしてしまったらヒステリックを起こしていた。
お風呂はお母さんの許可が出るまでは入れないこと。
決められた時間にしか動いてほしくなかったみたいで、
私と弟は支配されるように動いていた。
自分の意見に反対されるとすぐに敵意をむき出しにして、
「私の気持ちなんかわかるわけない!」と怒り出す。
私たちに対して、きついことも日常的に言う。
「そろそろ痩せたら?」「マジでデブだよ。」「豚みたい。」
体型に関して、躊躇なく口に出してきた。
しかも、それを他の人の前でも言って
私にとって公開処刑のようになる時もあった。
コンプレックスをわざわざ言ってくる母が
憎くてたまらない時期もあった。
でも、傷ついていることをばれたくないから
軽くあしらうようにふるまっていたが、内心はとても傷ついていた。
母はそういう病気だから仕方ない、と思うようにしていた。
でも、当時の私はやっぱり母の気持ちなんてわからなかった。
「何でお母さんはそういう風になるの!?」
と言ってしまったこともある。
でも今は、その気持ちがわかるし
何でそんな風になるのかという問いが一番傷つくってことも分かる。
制限された空間を、はやく飛び出したかった。
だから、高校卒業と同時に一人暮らしを始めた。
3か月に1回くらいは実家に帰省していたが
それくらいで会うのがちょうどよかった。
長女として我慢しながら育ってきてしまったこと。
過保護でヒステリックな母からの教育が
今の私の一部なのかもしれないな、と
少し思っている。