たられば論。
ああだったら。
こうしていれば。
そういう言葉の類。
終わったことをどうのこうのと、昔はよく思っていたものでした。
でも、そういうのやめました。
意味ないから。
どうしようもないから。
5年くらい前に入院していた精神科。
きっかけになる出来事にはある友達が絡んでました。
病んでいたころは
「私がああだったから、こんなことになったんだ。」
「私がいなければよかったんだ。」
そんなことばっかり考えてた。
その出来事から1、2年はそのことばっかり考えてた。
自分のことを責めることで、許されようとしていたような気がする。
カウンセリングを経て、社会復帰して、彼女とのいざこざを考えることは薄れていったけど
忘れることはできなかった。
いつまでも心のどこかに残って、傷あとになってた。
そして先日、彼女のお母さんに会うことのできる機会があったのです。
彼女の近況を聞いて、今の自分の気持ちを聞いてもらって、ようやく私の中でこの問題が解決できた気がした。
言ってしまうと彼女も精神病で、未だに私にも、だれにも会える感じではないそうだ。
彼女のお母さんに話した内容だって、今はまだ伝えてもらうことさえできない。
正直なところ、私が関わらなければ何か違っていたのかもしれないと思うことはある。
けれど関わった過去は変えることはできないし、
彼女がいなけれは、私の人生を語ることができないくらい、私にとっては今でも大切な親友だ。
だから、そういう「たられば論」は捨てることにした。
改めてそう思った。
過去は何も変えられないし、変わらない。
変えられるのは、未来と自分自身の考え方。
それしか方法は無いのです。
実際のところ、問題の何かが変わった訳ではない。
変わったのは私の考え方。
そうやって終わらせることにした。
考え方ひとつで、どうにかなるもんさ。
退院してから、思考パターンのいろいろを変えなくちゃいけなかった。
仕事を始めてからは、いろんな柔軟性を身につけなくちゃいけなかった。
そうやって私はちょっとずつ強くなっていたらしい。
体は未だに不安定だけど、メンタルはかなり安定している最近のわたし。
誰でも必要に駆られたら強くなれるよ。
私がそうだったから。
5年がかりでここまで来た。
あと5年あれば体も強くなれるんじゃないかなぁ?
びょーきではあるけれど、精一杯生きてます。