今日はビリヤードの試合でした。

負けました。
くぅ。

次回頑張るっきゃない。


で、試合終わってからご飯食べたり、ゲームしたり、しゃべったり…なぁなぁとした時間を過ごしてました。

なにか目的がある訳でもなく。
なんとなーくその場にいたかっただけというか。

妙に居心地がよくって。


最近ちょっと気分が下がり気味で、家に居ても落ち着かないのです。
なので逆に気を紛らわしに出かけることが多い。





そして帰り道にふと思ったこと。


昔の私、たとえば3年前くらいの私だったら。
気分が落ちてる時はひたすら家に引きこもってたような気がすると。

というか、外に居場所がなかったのかも。

いつからか分からないけど、昔に比べると私もずいぶんと社交的になった。

始めて会う人と話をするとか出来なかったもんなぁ。。。



今は人に会うことがストレス発散になっているらしい。

それは具合によりけりではあるけれど。



昔は出来なかった「話す」事がストレス発散になってる。

うん。
一人でぐずぐずしてるよりはよっぽど健康的だよね。




でも一つだけ出来なくなったこと。

詩を書くこと。


昔は言葉がつらつらと勝手に出てきたものなんだけどね。
最近その感覚が全く無い。


きっと私が昔に綴っていた言葉は、一人でため込んでいた何かを言葉にしたものだったんだろうな。

それしかココロの逃げ道が無かったんだろうと思う。



だから、昔に書いたものを読み直すと心に突き刺さるような言葉が出てきてびっくりする。






最近たまに、また詩が書きたいと思うけど、言葉が綴れない。

あれって案外普通の思考では書けない物なのかも。


私が「この歌詞いいな」って思う人の書く詩は、どこか寂しげだったり、普通と比べると奥深い意味のある詞だったりする。

安易に愛だの恋だの多用している歌詞は嫌いなのです。

っていうか小説にしてもドラマにしても音楽にしても、恋愛物は苦手。





要するに何が言いたいかというと。

言葉と心の健康の関係ですよ。




病んだ心が発する言葉は、時に他の人も巻き添えにすることがあると思うのですよ。

っていうか、私がそうだったから。



思うように言葉が綴れなくなったのは、ある意味心が健康な状態になってきたからなのかな?
って思いました。


元気な言葉も綴ってみたいけど、それが出来るほど私の言葉は器用じゃないらしい。

それはそれに特化してる人に任せよう。



時には病んでるからできたこともあるんだってこと。


人ってのは何かしらできるように出来ている。