アダルトチルドレン/HSPの「生きづらさ」を「生きてて良かった」へ~鎖をほどき、扉をひらく「Tiny Step」~

アダルトチルドレン/HSPの「生きづらさ」を「生きてて良かった」へ~鎖をほどき、扉をひらく「Tiny Step」~

オンラインによる、
カードリーディング、カウンセリング。
繊細で感受性の高いあなたが、
必死に生きてきた子ども時代に、
気づかずかけてしまった制限から解放され、
安心してのびのびと、心豊かに生きるためのお手伝いをいたします

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Tiny Stepのコンセプトは

「鎖をほどき、扉を開く」です。

 

 子どもとして、親として、女として、男として、〇才として、

こうすべきだ、これをしてはいけない。

幸せとは〇〇だ、〇〇は恥ずべきことだ。

自分は〇〇にはなれない、自分は〇〇をしなければいけない。

 

 私たちは、成長の過程で自分を鎖につなぎます。

その鎖は目に見えず、だからほどく方法が分からず、

いつも自分をどこかに閉じ込め、

自分らしさを発揮する足かせになります。

 

 少し長くなりますが、

私なりに理解しているその理由をお話したいと思います。

 

 人間は、力をつけて野生動物と戦って生き残るのではなく、

脳を大きくして思考し、社会性をもって集団で生活することを

選んで進化した生き物です。

 

 産まれる時、脳が大きすぎては親の産道を通れないため、

私たちはある程度の大きさまで脳を成長させると、

子宮の外に出てきます。

 そのため、産まれた時は非常に未熟な状態で、

他の動物のように産まれて数時間で歩く、

ということができません。

 産まれてから数か月を寝たきりで過ごし、

1年かけてやっと歩けるようになり、

その後も何年間も社会の中で育まれることが前提の、

非常に弱い状態で産まれてくるのです。

 

 そして産まれついた社会の環境は、

その場その場で大きく変わるため、

本能だけで動くのではなく、

産まれついた環境にあわせて生きる術を学んでいきます。

 

 産まれてきた子どもは、スポンジのような脳で、

周りのすることをみたり、自分の経験の中から、

「こうすると成功(=生き延びる)する」

「こうすると周りから責められる(=死ぬかもしれない)」

ということを学習し、

脳の反応パターンとして蓄積していきます。

(生き延びる、死ぬ、という表現は

大げさに聞こえるかもしれませんが、

自分一人では絶対に生きていけない、

周りに頼らないといけない幼い人にとって、

周囲(=社会)の反応というのは生死を分けるものなのです)

 

 人間の環境は、成長とともに変わるため、本来であれば、

この学習はアップデートされていく必要がありますが、

生きることの基本パターンについての脳の学習は

8歳前後で止まり、その後は、その学習をもとに、

経験を繰り返し、学習を強化していくと言われています。

 

 昔であれば、産まれついた村のルールや、

身分なりの在り方など、

8歳までに学んだルールを繰り返すことで

生き延びることができたかも知れませんが、

今の時代は、刻々と環境が変わっていきます。

 

 そのため、昔に学んだルールが自分を

制限してしまうことがあります。

 

 また、私たちが学習する時期、私たちはどうしても幼くて、

物事の全体性やその場では見えない事情を

みることができません。なので、間違えて覚えたことや、

応用が利かないことも出てきます。

 さらにその時期はまだ言語化ができないまま、

脳のパターンとして刻まれているため、

自分でもなぜそのルールを覚えたのか説明ができず、

ルールがあることさえ気づかないうちに、

同じ反応、行動を繰り返すことが多々あります。

 そのため自分を制限しているものがあっても、

それを言語化して気づき、

より望ましい方向へ修正していくということが難しいのです。

また、「生きる」「死ぬ」という強烈な本能に基づいて学習しているため、それを変えることには大きな抵抗が伴います。

 

 第二次成長期に自我が正常に成長すれば、

幼いころに刷り込まれてしまった不要な学習は、

ある程度調整されるのではないかと私は思いますが、

(私を含め)第二次成長期に、自我を伸ばすことができず、

親や社会に押さえつけられてしまった方も多くいらっしゃると思います。

 

 特に親が未熟であった場合、自分のためではなく、

親にとって都合のよいルールを教え込まれ、

第二次成長期にそれを自分のためのものに

書き換えることができなかった場合、

その人は大きな不整合を抱えたまま大人になります。

 

 幼いころの学習パターンが

「自分は親(=世界)に愛されている」

「自分は何をやっても褒められる」だった場合、

それが現実の世界と多少即していなくても、

無理にかえる必要はありませんが、

「自分は愛される価値がない=生きている価値がない) )」

「親のいうことを聞かないと殺される」だった場合、

その鎖は、24時間、365日、何をするときも自分の首をじわじわと締め続けるのです。

 

 この「鎖」の重さは育ってきた環境とその人の気質で、

人それぞれに異なりますが、ある程度の鎖を身につけることは、

私たちの成長の必然と言えるのかも知れません。

 「鎖」を身に着けた時、私たちはそれを選ぶことができませんでしたが、外すか否かは自分で選ぶことができます。

 

ジョーゼフ・キャンベルの「神話の力」の中に

私が「鎖」と呼んでいるものに符号する記述がありました。

 

~ニーチェは一種の比喩によって、

彼が魂の三つの変容と呼んでいるものを説明しています。

 

その変容の第一はラクダの、子どもの魂です。

ラクダはひざを折って「私に荷物を負わせてください」と言う。これは服従の期間です。

ちゃんとした生活が送れるように、あなたの社会があなたの指示したり伝えたりするものを受け取る。そういう時期です。

 

 しかし、十分に荷を負わされたとき、

ラクダは脚をふんばって立ち上がり、砂漠へと駆けていく。

そしてそこでライオンに代わるー負わされた荷が重ければ重いほど、強いライオンにね。

 さて、ラインオンの役目はなにかというと、それは

「なんじ・・・すべし」という名の龍を殺すことです。

この恐ろしい龍には、そのうろこの一枚一枚に、

「なんじ・・・すべし」が刻まれている。

四千年の昔からのものもあれば、今朝の新聞の見出しからのものもありますがね。

 

 ラクダや子どもは、この「なんじ・・・すべし」に

服従しなければならない。

 しかし、ライオンは、若者の魂は、それをはねつけ、

自分自身の考えを持つのです。

 さてそうして、すべての「なんじ・・・すべし」もろとも

龍が死んでしまったなら、ライオンは自らの力で回転する

車輪のように、自分の本性の力で歩む幼子に代わります。

 もはや従うべき規則はない。歴史的必然から生じた規則も、

地域社会のなかでの義務もない。

 

そこにあるのは、開花した人生を生きようとする

純粋な衝動です。~

      ※ハヤカワノンフィクション文庫「神話の力」より

 

あなたの背負った荷が、しばりつけた鎖が重ければ重いほど、

あなたは強いライオンになれるかもしれません。

自分の本性の力で歩み、開花した人生を生きようとする

純粋な幼子になれたら、

人生はきっと楽しくなると思いませんか?

 

TinyStepではカードリーディングを通して、

あなたが身に着けてしまった鎖をほどき、軽くなった心で

新しい扉をあけて一歩踏み出す

お手伝いをしたいと思っています。

 

※心理学で「観念」「幼児脚本」「エゴ」などと呼ばれているものを、私は鎖と表現しています。

鎖の中にはトラウマとして脳に傷を残してしまっているものがあります。

これらは強烈な体験のため慎重に扱わなければより辛い思いをすることになります。

TinyStepでは現在、トラウマを扱うことはできませんので、

トラウマを扱いたい方は専門のセラピストさんを探されることをお勧めします。

TinyStepというのは、小さな一歩、という意味ですが、

正しい英語ではなく、私の造語です。

(英語ではBabyStepやStepbyStepが

正しいのではないかと思います。英語苦手(;^ω^))

 

 17年前に奈落の底に落ちるような経験をした私が

心から願ったことは、「早く楽になりたい」でした。

 

 そして17年かけて学んだことは

「一気に何かを変えることはできない」でした。

 

 辛い思いをすればするほど、早く楽になりたい、

一気に楽になりたい、と思ってしまうものですが、

一気に変えようとあがけばあがくほど、無理がかかり、

苦しみが増します。

 

 歩きはじめたときは、この苦しみが完全に解決されるまで、

私は幸せになれない、と思ってしまいがちですが、

一歩ずつでもいいから、自分の目指す方向に歩いていけば、

途中、思わぬ方向に軌道修正が入ったりしながらも、

道の途中で意外な楽しいことがあったり、

ちょっと休憩できたり、仲間にあったりしながら、

少しずつだけど思ったよりも早く楽になっていけるものだなと17年かけて実感しました。

 

 スピリチュアルな存在が指し示してくれるのは、

全体図ではなく、次の一歩だ、

私たちは全体図を見て成功するなら頑張る、

と思いたいものだけれど、行き先が見えなくても、

次の一歩を信じて進めるかどうかに

幸せになれるかどうかがかかっている、

という話もよく見聞きします。

 

 かくいう私は、とても怖がりで焦りで完璧主義で、

何か嫌なことが起こると、ひえぇと縮み上がり、

ええい!と目をつぶったまま力技でそれを乗り越えようとして、

躓いて転んで嫌になる・・・ということが多々あります。

 

 そんな自分だからこそ「地に足つけて一歩一歩」を

忘れたくなくてTinyStepという名前をつけました。

 

一気に楽にはならないかもしれない、でも一歩進める、

を目指して、セッションを行っていきたいと思っています。

そのような趣旨に賛同いただける方にお越しいただければ幸いです。

 

 

 

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