模範解答なんて無いのですが…
やはり、最近、考えてしまうのです。
私達は
「どこまで求め」
「どこまで我慢」する?
国や文化、伝統に宗教…
イロイロ違い、要求に幅は広い。
でも、どこかの基準に合わせてみんな少しずつ求めて、少しずつ我慢する…
理想だけれど、
じゃぁ、「何処」に基準を置くの?
「学童」にお弁当屋さんの配達を求めて、許可の為に尽力する親…
その親の育った文化では、「お弁当」の文化は無く、「食」は「温かい」出来立てのものを食べる事が当たり前だったそう。
子供が
「持ち主を探したけれど見つからなく、自分の物では無く、親にも自分の物を持ち帰ったら盗ったと間違われるから持ち帰るなと言われたので、落とし物箱を作って良いですか?」
と言って、落とし物を先生に届けたら、
「落とし物箱を作っても、溜まる一方で最後には先生が捨ててしまうだけだから、落とし物箱は作りません。欲しかったら貰ったら」という先生…
十字路を右折してすぐの所に車を停めて、子供が待ち合わせ場所に来るのが遅いと子供を叱る父親…
すぐ園に文句を言うのに、コンビニの駐輪場マークの位置に堂々と車を停める母親…
勿論、私も知らず知らずに周囲に迷惑をかけていると思う。
人は、
迷惑や間違いをかけながら生きていると思う。
人は、
どうしても、自分の生きてきた尺度でしか、行動や判断出来ない。
だから、
出来れば、
人の声に耳を傾ける事が出来る心の余裕を持ち続けられたら良いなと思う。
そして、
「ごめんね」と「ありがとう」を言える素直さを持てるように、心掛けたいと思う。
そうすれば、
イロイロな角度や立場を経験できなくても、教えられて、想像してみる事は出来ると思う。