昨晩11時半頃ウォーキングのブログを書いていたら、奈良の実家から電話が来まして、母曰く「〇〇さんの家が火事やねん。」
「はあ?」とぼんやり聞いていたところ「あかん、大事なもんだけ持って親父を玄関に連れて行って靴履かしとき!すぐ行くから」と大急ぎで嫁と娘達に実家に行く事を告げまして車で出ました。
親父は足が悪くてあんまり歩けないのです。
〇〇さんは、実家の隣の家です。
鉄骨造ですので余程で無い限り類焼はしないと思ったのですが、火の出る場所によっては燃える可能性は十分あります。
長女と次女が一緒に行くと言って車に大急ぎで乗り込んで走り出しました。
東大阪の妹にも電話をして、着いたら連絡すると言って、捕まらない程度に急いでいきます。
実家の近くまで行くと非常線がはられていて途中のコインPに車を止めねばならず、燃えている非常線の中にも「隣の家のもんや!」と半ば怒鳴りながら入っていきます。
どうやら両親は燃えていない方の隣の家にお世話になったようで、家の中で座っていました。
現場を見ますと炎が燃え盛っています。
消防車があちこちからやってきて、5階建てのお隣の三方から放水していますがなかなか鎮火しません。
午前2時頃漸く収まったかと思われたところまたもや4階から火の手が上がり、消防士が必死で放水しています。
午前3時頃漸く鎮火したようで、3時半に消防士さんが我が家に帰っても大丈夫ですと言いに来てくれました。
それまでは両親は避難させられて、家の玄関は開けたままにしておくようにとのことで、思いっきり心配していました。
こちらも殆ど徹夜で、夜が明けてからは前日火事で止められたガスの開栓の調査があり、別に頼んでいた電子レンジの修理の電気屋さんが来たり、離れの屋根が放水の影響で屋根瓦が落ちていたのでブルーシートを買いに行ったりして大変でした。
2階のベランダでは隣の窓ガラスが砕けて落ちてきたり、窓枠や燃えかすの木の屑が落ちていたりで大変な状況でした。野菜を植えていたベランダ菜園のプランターやプランター代わりの発泡スチロールは溶けて土だけしか残ってなかったりして、後始末が本当に大変でした。
それでも、ベランダ菜園があったので類焼しなかったようで、もしベランダ菜園がなかったらその下のトタン屋根はきっと溶けて燃えていたと思います。
私と朝から来てくれた嫁と妹とで隣との間の掃除やベランダの掃除、ブルーシートのを屋根にかけたりして今漸く帰ってきました。
消防署には罹災の届け出をせねばならないようで、15日以内にして下さいと言われました。
聞けば、うちからかなり離れた交通の便の悪いところですので、私が行くことになりました。
避難させてもらっていた隣も親戚ではあるのですが、102歳のおばあさんがいて、もし、うちが燃えだしたら避難させねばならなくなり大変なことにんなるとこでした。
片付けも消防署が被害状況の写真を撮るまでは片付けないようにと言われていたので、ずっともやもやしながら待っているのは大変でした。許可が下りたのは正午でした。
それから片付けだしたので徹夜明けの身体には大変な負担でした。
両親だけではとても片付けはできそうにありませんでしたので、今日祝日で良かったです。
まあ、色々と大変でしたけど実家が燃えずに住んで良かったです。
隣は大変ですが、3階までがお店で4階5階が自宅で、4階から出火したようですので火の不始末なんでしょうね。
けが人がいなくてそれだけが不幸中の幸いです。
消火途中消防士さんがALCの外壁が崩れてくるかもわからへん、と言ってたので気が気ではありませんでしたが、幸いなことに隣の熱でひん曲がって真っ黒になった窓枠と強化ガラスのかけらや大きな破片があったぐらいで、家自体に破損はなかったので何よりでした。
ああ、疲れた・・・。