勧善懲悪 | タンタンとパパの子犬の社会化ブログ

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よく、犬の躾について語るとなると、必ず出てくるのが「悪いことをしたんだから叱るのは当然だ!」「悪いことは悪いって教えないと!」という理屈ですが、「悪いこと」って? 

物事の善悪を決めているのは人間であり、犬には人間の価値観や常識から導き出された「悪」など分かるはずがありません。

 

「だから叱って物事の善悪を教えてるんだろ!」といいますが、『悪』は叱って教えるとして、本当に『善』(正しい行動)を教えられているでしょうか? 犬が何か正しい行動をした時にタイミングよく「よし!それは正しい」って毎回伝えていますか?

 

そのためには犬をしっかり観察することですが、多くの場合見逃しているのではないでしょうか?

せっかくトイレでオシッコしても見ていなければ褒められません。

教えた通りの行動を犬がやっていても、タイミングよく褒めなければ犬には飼い主にとって何が良いことなのか分かりません。

 

ですから、褒めるのは後回し(というかなし)で、自分が気に入らないことをした証拠をみつけた時だけグチグチ叱っていないでしょうか?

タイミングも飼い主が気づいた時では犬にはまるで関連付けができないでしょうね。

これでは犬に善悪など教えられるわけがないと思いませんか?

 

むしろ「何かをすると叱られるだけだから、人の見ている時は何もしないでおこう」と無気力になるのがオチでしょう。

いい子でいるというのは何もしないでダラーっといることだと学習してしまっているだけ。

そしてその反動でお留守番の時になると嬉々として暴れまくったりするわけです。

 

犬にとって行動は善悪などという観念的なものではなく『いいことが起きる』『いいことがなくなる』『嫌なことが起きる』『嫌なことがなくなる』で変化していきます。 

『悪いことは悪い』と教えているつもりでも、犬にとって学習したのは『この人が見ているところでこの行動をすると嫌なことが起きる』という認識だけです。

つまり『この人が見ていなければ、この行動をしても嫌なことが起きない』という学習も同時に行われているわけですから、飼い主の狙い通りどんな時にもその行動は『悪いこと』なのでしてはいけないと反省し、学んだわけではないのです。

 

古い犬の訓練は人間の価値基準を犬に当てはめて行なっており、「犬がひとをなめている」とか「叱られて反省している」などという認識は『間違った擬人化』と言えます。 

今は犬の価値基準を学んで犬にとって納得のいく手法を用います。

 

どう伝えれば犬がその行動を好んでするようになるか、どう伝えれば犬がその行動を自発的にしなくなるかを心理学的に研究しています。

それは犬を甘やかしているわけでも言いなりになっているわけでもなく、フェアなスタンスで向き合う合理的手続きだといえるでしょう