2011年3月11日、東日本大震災が発生し、在日米軍がその翌日から、
「トモダチ作戦」
という救援活動を始めました。
2万人以上の人員、多数の艦船、航空機を投入し日本人被災者を助けたのは有名な話しです。
これは、米国の人道的部分であり、感謝しない日本人はいません。
日米同盟、駐留基地があるから当然だと言う向きもあるでしょうが、実際に被害に遭われた方々には天の救いだったはずです。
このような、人道的行いをする彼らではありますが、一方では世界中で戦争を起こしています。
一体、どちらが本当の姿なのでしょうか。
我々日本人は、
「戦争を起こすのは極少数の人間で、多くの米国民が仕方なく賛成するのだろう」
そう思っているはずです。
では、
「何故、仕方ないと思うのか」
そこが最も重要な点です。
19世紀後半から20世紀前半にかけて、日本は大陸で何度も戦争をしました。
それらが起きたのは、
「日本を存続する為の戦争」
その大義がありました。
しかし、仮に大東亜戦争で日本が勝っていたら、それ以降、米国と同じように世界中で戦争を起こしたでしょうか。
米国は40件以上の戦争に関与していますが、日本も同じことをしたでしょうか。
日本の国会はそれを認めるでしょうか。
日本人は、
「死に対する気持ち」
それが欧米人と全く違います。
一番わかりやすい違いは、
「お墓や神社で手を合わす」
これは特定の神様への祈りではありません。
勿論、お墓に眠る人に祈るのは当然です。
しかし、日本人の祈りは常に、
「魂への祈り」
です。
神様、ご先祖様、相手は誰と言えず、ただ、
「畏れ多いものに祈る」
それが日本人の祈りです。
つまり、海外の人々にとっては、
「よくわからない対象物に祈る」
それが日本人です。
祈る姿は海外の人々と一緒ですが、心は全く違います。
そして、魂への畏怖の念が、争いを嫌い、和を好み、様々な神様を信じる原点です。
世界中の宗教で人々は祈りますが、我々の祈りは全く異質なのです。
つまり、彼らは、
「魂への祈りではないから戦争を軽視する」
そう言っても過言ではありません。
現在生きている自分を筆頭に過去へ遡ると、同一民族である日本人は1000年以上で全員と血の繋がりが出来ます。
血の繋がりは魂の繋がりと同じです。
何故なら、
「血脈」
という言葉がある通り親族であり、全く関係ない赤の他人ではありません。
同一民族国家は世界中に存在しますが、そのように考えるのは日本人だけです。
「魂の繋がりがある人々」
つまり、親族を戦争に出して平気な人はいません。
「戦争が仕方ない」
そのように日本人が考えないのは当然です。