元日に、

「皇后杯」

という女子サッカーの決勝がありました。

選手がグラウンドに出る前に、一緒に手を繋いで出てゆく子供達との触れ合いが映されましたが、これから試合をしようとする姿ではなく、

「母親」

のような笑顔の女性達です。

その光景は、まさに平和を象徴する一瞬でした。


自分は20代の時に結婚しましたが、付き合った女性は彼女1人だけです。

別に自慢や卑下するわけでなく、要は自分にとって女性は未知の生命体でした。

もちろん、母親、従姉妹がいても、

「女性」

という括りではないので初めて付き合った時は、

「未知との遭遇」

と言えるほど衝撃的でした。

最初に思ったのは、

「女性は清潔」

ということです。


ふと、学校帰りの彼女の靴に目がいった時、

「何故、普段履いている靴がこんなにきれいなんだろう」

と不思議に思いました。

友達の男で、きれいに履いている奴など皆無です。

まめに洗っているのでしょうが、きっと汚さないように履いているのが秘訣でしょう。

おそらく、普段の行動、動き方が全然違うから清潔さが保たれるのだろうと感じました。


もちろん彼女の見た目の清潔さは当然感じましたが、靴の清潔なことに、何か異様な感動を覚えたのを忘れません。

「清潔さ」

という点は、見た目だけではありません。

「気持ちの清潔さ」

これは考え方と言って良いかもしれません。

物の道理に対する純真さ、清純さでしょうか。

女性は感情的だと言いますが、まさしくそのことを言ってます。

間違いなく男より、

「何もかも清潔」

そう感じました。


現代では、女のような男が一般的になりましたが、自分には、

「見た目も心も清潔」

それが女性に対する印象で今も変わりません。

世の中では男尊女卑などと言い、女性が虐げられた歴史がありますが、自分には何故女性を下に見るのか全く理解出来ません。

自分の母親を下に見ることなど出来るはずがないからです。

日本の神様は女性ですが、何故女性なのか当然のように思えます。


世界的な男女平等思想は女性の地位向上が目的ですが、

「力」

という点で不平等なだけで、そもそも男が女性と対等であろうとするのは、限りなく不可能に近く思われます。


何故なら、

「見た目も心も清潔」

これを達成するのは、男にとってかなりの難題だからです。