私たちの愛と性について
読むと良い本の紹介を交えつつ
忌憚なく語られていらっしゃいます。
性と愛から逃げることは
生きることから逃げること。
自分の思い通りにならない
絶対的他者を
恋愛対象の中に見る。
孤独を深く感じるようになる。
わけのわからない
嵐のような日々を耐える。
そして、最後には、
恋愛対象に対して自分ができることは、
相手を諦めることしかないとわかり、
それを受容する。
著者によると
本当の恋愛によって
自分の内面を知って苦しみ
自分を救うのは他人では無いと気づき
恋愛に懲りることと
思いっきり炸裂する性交体験を
数重ねてしっかり性交する
(=ヤリまくる)ことで
発情期を卒業すること
それらが無いと
年老いて
「恋愛という興奮による現実逃避」
という
幼さを吹き飛ばすことができず
しんどいことになる、
と説いておられます。
耳が痛くて千切れそう
男性も女性も成熟してゆけば、
自分自身の中の異性像を
他人に投影することなく、
自分自身の中で統合していく。
いつまでも理想の異性を求めて
恋愛したがる人間は、
本来は精神的には
両性具有の人間存在への理解が足りず、
自分自身の中の異性像の存在に気が付かず、
それらを統合して
自己の精神世界を広げることに
失敗している。
唯一の運命的なパートナー、
魂の片割れという
ツインレイ は
現実界で出会う他者というよりも
自分の中にいる異性像である
という考え方が腑に落ちます。
ただ恋をしているだけでは
自分の内面に変化がないから
何度も同じ失敗をしてしまう。
胃が痛い
妻にとっては、
夫は自分の中の
もうひとりの男性形の自分なのだから、
みっともないままに放置などできない。
夫が、彼女の心の中の自分自身と
似た男性像に近いのならば、
夫はもうひとりの自分だ。
自分をみっともないまま放置など
できないではないか。
それを放置しているということは、
その夫は妻の内面の中では
存在していないということなのだろう。
なるほど
今日もお読みくださり
ありがとうございました。