現代のトリックスターと心理療法 | どくしょのじかん

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大好きな場所で大好きな本を。




トリックスター という
何やらキラキラ感のあるこの言葉



心理学者である
河合隼雄先生の本を読むようになって
その意味を知ることになり



小説や漫画を読む際には



トリックスターは誰かな〜
どのキャラかな〜



と探すようになったり



私の日常生活で
ひと味違う人と出会うと



トリックスターなのかい⁈



とワクワクする私です。



著者は


20世紀末に心理療法界を賑わし
地位を確かにしたものの
21世紀になって
耳にしなくなった
トリックスターという概念の
再考/再興を試みたい 


と述べておられ、
心理療法、特に箱庭療法における
クライアントの中や外 から
セラピストである自分自身、
その他日頃の業務内に至るまで
トリックスターを探しまくり
そして検討を重ね
論文を完成されました



私、
立場は違いますが
トリックスター好きとして
親近感を覚えました。



今日は
トリックスターについて
私が思うことを書かせていただき
著書の中の
トリックスター論については
改めて
書きたいと思います。



花花花花花花花花



トリックスターとは
何者でしょうか??



そもそもつかみどころがない
トリックスター。
定義は難しいですが、



創造者であって破壊者
贈与者であって反対者 
だまして、だまされる
二つの異なるもの、対立するものの間を
自由に行き来する存在



とされています。



物語で現れる
キャラクターとして挙げられるのは
西遊記の孫悟空。



物語をひっかきまわしますが
新たな展開を生む。
それが読者を魅了する。



物語が終盤に近づくと
正義感あるヒーローに変わって
最後には仏名までゲットしてしまう。
悟空は
トリックスターからヒーローに
成長してしまうので、
純粋なトリックスターは
最後まで煩悩まみれの
八戒の役割です。



私たちにとって
最も親しみやすい
漫画では


キン肉マン。懐かし。
初めのコテコテドタバタギャグ、
好きだったなぁ。
7人の悪魔超人が出たあたりから
スグルさんの正義感と王子色が
濃くなって
熱いバトルと男の友情系に
路線変更しちゃいました。 



主役が
トリックスターからヒーローになり
作品中の他のキャラで
八戒みたいな純粋なトリックスターが
いないと
作風が一気に変わります
よくあるパターンです真顔
私はこれを勝手に

少年ジャンプの
長期連載作品に
あるある現象

と勝手に名付けております。
少年から大人へと成長する時期の
漫画誌なので
キャラも成長して
トリックスター性が消滅することが
多いです。
幽遊白書もそうかもしれないと
思ったけど、
桑原氏がトリックスターとして
最後までではないけど
踏ん張ってくれてたかな?
違ってたらごめんなさいチュー



鬼滅の刃は、
善逸、伊之助が
トリックスターから始まり
トリックスター=ヒーロー
というどちらの要素も持つようになり
ラスボスとの戦いが近くなると
トリックスター的ギャグ要素が
どんどん減り
2人の成長とともに
トリックスター性と
ヒーロー性割合が
逆転して
無惨と戦う時には
完全なるヒーローになっています。 
(炭治郎は
ちょっと変わってるコだけども
たぶん、初めからヒーロー。かな?)




トリックスターがヒーローになると
ストーリーが完結したり
大幅に作風が変わって続いていったり




王様の側に
つねに控える道化のように
ヒーローや権威あるもの側で
笑いを担当するという
西遊記の猪八戒的な
トリックスターキャラが存在した状態で
続くお話もあります



女の子向け作品なら
ちいかわ の うさぎ!
わかりやすいトリックスター笑い泣き
無茶苦茶だけど
賢くて(草むしり検定3級)
戦闘能力が高い。ヤハ!



そして
主役が上手くバランスをとりながら
トリックスターとヒーローの間を
行ったり来たりして続くストーリーも
あり

主役の人格が破綻しないか?
大丈夫か?と思ってしまいますが
鬼才はそんな心配ご無用とばかりに
強烈なキャラを産み出して
作品中にドタバタと大団円を
交互にそして
繰り返し見せつけて魅了しますキラキラ



王族なのに破茶滅茶な
パタリロ


警官なのに無茶苦茶な
両津勘吉さん



まさに鬼才が産んだ
変幻自在のトリックスターです。
このような
トリックスター性を持っていると
成長、成熟して消滅する 
という概念をも吹っ飛ばします。




西洋の心理学界では
トリックスター性は
幼稚さゆえに意図することなく
秩序を破壊し混乱を招くが
成熟とともに姿を消したり
ヒーロー化したりする
と、されていて
トリックスターは未熟であり
どちらかというと
悪の要素が強いとされてきたようです。



河合隼雄先生は
日本にトリックスターの概念を
持ち込むにあたり

トリックスターと幼児性や未熟さを
結びつけるのではなく
トリックスターはいつになっても現れ
悪、未熟というよりは
観念概念を自由に飛び回り
新しい何かを創造し豊かさを生む

社会的に常識を外れることが
日本人の成長や問題解決にとって
大切であり
日本人には
成長しても消滅することがない
トリックスター性を
受け入れる器がある

として
積極的に心理臨床にトリックスターを
取り入れる動きがあったようです。



両さんが!

パタリロが!


その他数多の作品が!


ストーリーで魅了するだけでなく
キャラクターのトリックスター性で
私たちの社会的な成長や問題解決に
影響を与え続けてきたことは
間違いないのです。


両さんやパタリロの活躍を見て
自分がどう感じるかを観察すると
社会の役割、制約、ルールなどに対して
自分の心のポジションが
どのへんにあるかを知ることができるし、

変わらない本質と

変えちゃったりやめてもいい部分

が見えて
既存の枠やルールなどから脱却して
私たちひとりひとりの力で
社会を豊かに変えていくことに
つながると思います。





漫画の話が続きますが
なぜ日本で漫画がここまで発展して
愛されてきたのか?


それは
漫画そのものが 
大人になっても楽しめる
日本人にとっての


トリックスターキラキラ


であり、



トリックスターを
許容し受け入れ
限度はあれど
社会的な内面的な
破壊や再生を
良しとする心性が日本人にはある
という河合隼雄先生の論が
腑に落ちます。



専門家でも何でもない私が
思うまま書き連ねましたが
トリックスターと箱庭療法については
また次回流れ星



お読みくださりありがとうございました😊