気づきがすべて

 

気づいて

手放す

 

心の平穏は

自らのうちに見出す

 

外に平和を求めず

外に自分の思う様な世界を築こうとせず

 

自らのうちに

それを見出す

 

*

 

正しさ

 

というものに

囚われると

苦しみが増す

 

事実と真実

 

事実は一つ

真実は人の数だけ

 

人はいろいろな正しさを抱いて

生きています

 

理由はそれが「必要」だから。

 

他者から見て

不要なものと思えていても

それはその人にとっては

今必要な「宝物」であったりします

 

同じものなのに

ある人からみて宝であり

ある人からみて不要なものそのもの

 

ただそれだけ。

それを宝だ!

ごみと同様破棄すべき!

と正しさの突き付け合いが

トラブルの元

 

考え方の違いもありますが

時期もあります

 

 

子育てをしていてよく思いました

 

発達途上の未成熟な段階だと

(これは現世の実生活において

経験が少ないからという意味で。)

 

長女は昔からとにかく聞かない、

我が道邁進タイプで

手をつないで歩くことさえ

できなかった。。

 

よちよち歩きのことから

我が道を転びながらも行く姿を見て

転ぶから!と

手をつなごうとしても

振り払い

それでもしようとすると

きーーー!!プンプンとなって

振り払い

よちよち、よたよた、

尻もち、

 

えーーーん

と泣くかとおもいきや

 

怒っていた・・・プンプン

 

長女。。。

 

この子は凄い、

悲しい涙を

痛い涙をほぼ流さない子で

 

大泣きするときは

悔しいときだけだった・・・・

 

あらゆる局面で本当に大変すぎて、

 

まー

何とか言い聞かせようと

無理やりしたり

心を沿わせようとしたり

説明を丁寧にしたり

どれだけの育児書を読んだか

本当にいろいろ手を尽くしましたがガーン

とにかく思うよう歩みたい人

そしてわたしが未熟

後は完全に余裕がなかった

 

時間がないときついつい

こちらの意見を通そうとすると・・・・

 

昔のCM

旅館のハ○ヤ

生きたカツオを胸い抱いて・・

ピチピチ飛び跳ねてたカツオの如く、、、、

 

全身で拒否を訴え

 

それでも車に乗るときなどは

後部座席のチャイルドシートにのってくれなきゃ困るのに

 

手には拳握りしめて

エビぞりになって

全身の力振り絞って

全拒否ではめさせない。。

 

無理にしようとすると

噛みつこうとする

まさに動物ですガーン

 

仕事だから

保育園に急ぐからと時間がないときに

ねじ伏せようとすると

毎度このパターン

毎日が戦争でした。。。

 

何かにつけ

すべてほぼこうなる

 

わたしが母として未熟だったのは

もちろんですが

保育園の先生も毎日本当に手を焼いていて

困り果てて

この子独特の子育て方法の質問もよく聞かれました

数十年のベテランの先生でさえ

悪戦苦闘していた乳幼児のころの長女

 

思い返せば

生まれてから間もなく反抗期??とおもうほどの

激しい自我

 

中学校入るくらいまで

どれだけ苦労したかわかりません

 

もうこちらはボロボロのボロボロ、、

手に負えない。。

 

簡単にいうと

相手のが うわて なのです

 

そしてわたしが未熟

 

身の危険は守ってあげなきゃとおもい

必死に闘ったり

なだめたり

言い聞かせたり

おもちゃで誤魔化そうとしたり、、

 

見抜くレベルは神レベルで

赤ちゃんの頃から

ぬいぐるみで誤魔化そうと渡すと

放り投げられ、、、

 

周囲も呆気にとられてました

 

こちらの意図を即座に

見破るプロだった。。。

 

本人が望んだときは

持ちろん受け取りますが

目をごまかそうとか

少し黙ってくれ、という形での

ぬいぐるみは決して受け取ってくれなかった。。。

 

手ごわいのなんの。。

 

(ちなみに次女は本当に素直で

誤魔化しに誤魔化されてくれた赤ちゃんでした・・)

 

手を貸せない

転ばぬ先の杖も必要ない

腹をくくった子育てとなり

 

結果

 

自責で生きる

という感覚は身についていったようですあせる

壁に激突して撃沈したら

内省して方向転換をするタイプ

 

学習能力は高かったので

自動修正はかけていたので

とにかく見守りつづけるだけでした。。

 

親の仕事は

忍耐。

 

手が貸せないなら

彼女の歩みを、歩み方を可能な限り尊重しようと

忍耐に忍耐を重ねて

成長を見守る年月でした。

 

とてつもない忍耐力を与えてくれたのは

長女

 

逆に今は

こちらからみても

とても尊敬してます

 

わたしにない勇ましさや

不動の心、

広い視野
千里眼とおもえるほどの洞察力、

どっしり物おじしない風格

もってます・・

 

私生活ではあのね、とダメダメなところもありますが

人格的にはかなわないな、、

といつもタジタジしてしまうことも多く

 

沢山戒められながら生活してきましたが

(ママはさ、ママだからね、、成長と共に

しょーーーもないところは

大目にみてくれる寛容さも共に身に付けてくれたので、、

よかった・・・汗

 

娘たちはありのままのわたしを一番しっていて

とっても厳しいですが

大きな意味で見守り助けてくれています

 

耳の痛いこともさらっと、時にがっつり

ドストレート!!に言ってくれるので

ありがたく受け取っています

 

言ってくれることはありがたい

 

良くなってほしいと思うから

言ってくれるわけで

言われなくなったらおしまいだとおもっています

 

子どもの深い愛をちゃんと受け取り

考え方、行動、言動を改めていく心を常に持つこと

 

特に他人ともなれば耳の痛いことを言ってくれる方も

それなりにリスクがある

痛みも伴う

 

言わずに事なきを得ていたほうが

さらに嫌な思いをしなくて済むかもしれない

 

耳の痛いこと言ってくれる人に

敬意をはらい感謝を

 

ニコニコ

 

*

 

話を戻します

 

 

解釈は人の数だけ

それに良し悪しがない

 

自分にとっての真実は

相手にとっての真実とはなりえず

異なる事の方が多い

 

違いがあるからダメではなく

ただ違う

 

そしてどちらも真実である

 

という捉え方

 

人には

その人なりの課題があり

趣味嗜好があり

好き嫌いがあり

それを抱いて人生を歩む

 

そして

本当の意味で

良からぬものは

いつしかトラブルとなったり

向き合わないといけない事態が起こるようになっている

 

それはものすごく先かもしれない

 

今世ではないかもしれない

 

しかしながら

最終的に人はみな

純粋なる意識

光へとなっていくのだから

大丈夫

 

↑解釈は人それぞれだと思いますが

私のイメージでは

魂ってあるかな、

そして

それはとっても純粋なる光なのかな

 

そしてそれは宇宙の本質と

同じなのかな

 

という仮説の上で

生活してみています

 

これも正しいとか

正しくないとかわかりません

 

そのように考えてみて

歩んでいるだけです

 

だから人間が何とかしよう!!とあくせくしなくても

いつしか、

なんとか、

なる

 

*

 

人は他の人を真に癒すことができないという

 

自分と神

しか自分を癒すことができないという

 

誰かに欠落感を

埋めてもらおうとしても

埋まらない

 

苦しみをみせ

何とかして!としても

本当の本当の意味で何ともならない

 

そして

 

人は人を裁けないといいます

 

裁きは神の仕事

 

何かよいヒントがひとつでもあれば幸いです

 

YOGAの教えや

仏教的な教えから・・・

 

近ごろはとても外が晴れていて

心地よい♪

音譜

hitomi