高麗屋のお家では襲名とは
名前を継ぐだけでなく命をも継ぐ
・・・そういう意味を持ちます
染五郎から幸四郎へ
今まで慣れ親しんだ名前が変わる
正直、寂しい気持ちの方が大きくて
と先日ブログで書きました
その時、染五郎としての
最後のお舞台を迎える前に綴ったもの、
と注釈を付けたのは
その数日間を含め微かに
でも確かに、私の中で
何かが動いた気がしたから
今の名跡での
染五郎さんの鯉つかみ
五・六段目の定九郎
親子孫三代が揃う大石最期の一日
それぞれの千穐楽が
とても素晴らしいものになり
それをしっかり観納めることで
まずは気持ちが昇華できたかな、と
さらには
先日の襲名披露祝賀会の末席に
畏れ多くも加えて頂けたのは
とても大きく有難いことでした
もう感謝しかありません
約2時間ほどの祝賀会
冒頭の(坂田)藤十郎さんの
ご挨拶が可愛らしくてですね
緊張していただろう染五郎さんの
相好を一気に崩すものでした
俯いて笑っちゃってましたもの(笑)
一気にその場が和みましたし
この日、初披露された襲名お祝幕
染五郎さんがCMを勤める
三井不動産さんが作って下さいました
3つの紋があしらわれ
淡い色合いが素敵です

2時間はあっという間です
壇上に上がってない時は基本
会場内を、幸四郎さんは単独で
染五郎さんは金太郎君と一緒に
お客様の中を練り歩かれ
お声を掛けたり掛けられたり
同級生の方々のテーブルに
いらした時の染五郎さんの
和みようといったら、もう(笑)
きっと安心するんだろうな、なんて
たまたま近くのお席でしたので
そんな場面にも何度か出会えて
思わず、ふふっ
ほっこりしちゃいました

うわぁってなった(笑)のは
新感線の脚本家/中島かずきさん&
いつなん時でもスタイル(CAPと黒T)を崩さない
演出家/いのうえひでのりさん
が染五郎さんを囲んで
談笑されてるところに遭遇したこと
お二人は歌舞伎座でよくお見かけするので
別にミーハー的な喜びではありません(笑)
なんかね、3人でお話されてる
そのトライアングルな空間を
近くでナマで感じられたことが、ね
歌舞伎NEXT 次は何を持ってくるのかな
◆翌日の中島さんのツイッター →祝賀会に・・・
当代幸四郎さん、染五郎さん、
金太郎君、それぞれが壇上で
ご挨拶する場面が2度ほど.
染五郎さんがまず立たれる・・・
そういうことなんですよね
幸四郎を襲名する、ということは
1300人の招待客を前に
高麗屋の家長として
十代目幸四郎として決意を述べられる
そんな染五郎さんを目の当たりにし
わたし自身も染五郎さんが
幸四郎を名乗ることを受入れる
心の準備?のようなものが
芽生えた気がします←遅いっ
初めて浮線蝶の黒紋付に袖を通しました
と、締めくくりにご挨拶される染五郎さん
これから何度となく目にするだろう風景に
少しずつ気持ちが動き出しました
ご挨拶や決意のほどはコチラで↓
★歌舞伎美人
「高麗屋三代襲名披露祝賀会」
で三人が語った襲名への思い
(略)十代目はもうつけません
松本幸四郎はこの世に一人
松本幸四郎として立派に~(略)
と歌舞伎美人内レポにもありますが
10月の高野山大学の講演時
襲名で名前が変わるというのは・・・
というテーマのくだりで
サインを書く時は
七代目染五郎とは書きません
今、の世に、その時代に、
染五郎は自分ひとりだから、と
確固たる信念を垣間見た瞬間、
を思い出します
著名な方々を含め
とても沢山の方が列席された
盛大なお祝いの会でしたけれど
始終和やかで、とても温かい空間と
優しい時間が流れる素敵な宴
でした
当代幸四郎さん、染五郎さん、
金太郎君の、ひいてはご家族のお人柄が
そうさせたのかな
歌舞伎座・千穐楽を経ての祝賀会
染五郎さんに直接
おめでとうございます が言えた、
それだけで幸せです、感謝いたします
ありがとうございました
幸四郎さん、と
きちんと呼べる気がします

★番外編
染五郎さん、やっぱり泣いたのですね
ご本人の気持ちを勝手な憶測で
計り知ることは出来ませんが
祝賀会前に開かれた会見のレポで
新聞社1社だけ?
終わった解放感、感慨がくるんだろう
と想像して千秋楽の前に泣いたけれど
その日になるとクールになって
やり残したことが思い出される
複雑な時間でした、と振り返った
との記載がありました
◆平成29年11月26日(日)◆
帝国ホテル東京
本館2階・孔雀の間
18:00~20:00
名前を継ぐだけでなく命をも継ぐ
・・・そういう意味を持ちます
染五郎から幸四郎へ
今まで慣れ親しんだ名前が変わる
正直、寂しい気持ちの方が大きくて
と先日ブログで書きました
その時、染五郎としての
最後のお舞台を迎える前に綴ったもの、
と注釈を付けたのは

その数日間を含め微かに
でも確かに、私の中で
何かが動いた気がしたから
今の名跡での
染五郎さんの鯉つかみ
五・六段目の定九郎
親子孫三代が揃う大石最期の一日
それぞれの千穐楽が
とても素晴らしいものになり
それをしっかり観納めることで
まずは気持ちが昇華できたかな、と
さらには
先日の襲名披露祝賀会の末席に
畏れ多くも加えて頂けたのは
とても大きく有難いことでした
もう感謝しかありません
約2時間ほどの祝賀会
冒頭の(坂田)藤十郎さんの
ご挨拶が可愛らしくてですね

緊張していただろう染五郎さんの
相好を一気に崩すものでした
俯いて笑っちゃってましたもの(笑)
一気にその場が和みましたし
この日、初披露された襲名お祝幕
染五郎さんがCMを勤める
三井不動産さんが作って下さいました
3つの紋があしらわれ
淡い色合いが素敵です

2時間はあっという間です
壇上に上がってない時は基本
会場内を、幸四郎さんは単独で
染五郎さんは金太郎君と一緒に
お客様の中を練り歩かれ
お声を掛けたり掛けられたり
同級生の方々のテーブルに
いらした時の染五郎さんの
和みようといったら、もう(笑)
きっと安心するんだろうな、なんて
たまたま近くのお席でしたので
そんな場面にも何度か出会えて
思わず、ふふっ

ほっこりしちゃいました


うわぁってなった(笑)のは
新感線の脚本家/中島かずきさん&
いつなん時でもスタイル(CAPと黒T)を崩さない
演出家/いのうえひでのりさん
が染五郎さんを囲んで
談笑されてるところに遭遇したこと
お二人は歌舞伎座でよくお見かけするので
別にミーハー的な喜びではありません(笑)
なんかね、3人でお話されてる
そのトライアングルな空間を
近くでナマで感じられたことが、ね
歌舞伎NEXT 次は何を持ってくるのかな
◆翌日の中島さんのツイッター →祝賀会に・・・
当代幸四郎さん、染五郎さん、
金太郎君、それぞれが壇上で
ご挨拶する場面が2度ほど.
染五郎さんがまず立たれる・・・
そういうことなんですよね
幸四郎を襲名する、ということは
1300人の招待客を前に
高麗屋の家長として
十代目幸四郎として決意を述べられる
そんな染五郎さんを目の当たりにし
わたし自身も染五郎さんが
幸四郎を名乗ることを受入れる
心の準備?のようなものが
芽生えた気がします←遅いっ
初めて浮線蝶の黒紋付に袖を通しました
と、締めくくりにご挨拶される染五郎さん
これから何度となく目にするだろう風景に
少しずつ気持ちが動き出しました
ご挨拶や決意のほどはコチラで↓
★歌舞伎美人
「高麗屋三代襲名披露祝賀会」
で三人が語った襲名への思い
(略)十代目はもうつけません
松本幸四郎はこの世に一人
松本幸四郎として立派に~(略)
と歌舞伎美人内レポにもありますが
10月の高野山大学の講演時
襲名で名前が変わるというのは・・・
というテーマのくだりで
サインを書く時は
七代目染五郎とは書きません
今、の世に、その時代に、
染五郎は自分ひとりだから、と
確固たる信念を垣間見た瞬間、
を思い出します
著名な方々を含め
とても沢山の方が列席された
盛大なお祝いの会でしたけれど
始終和やかで、とても温かい空間と
優しい時間が流れる素敵な宴

当代幸四郎さん、染五郎さん、
金太郎君の、ひいてはご家族のお人柄が
そうさせたのかな
歌舞伎座・千穐楽を経ての祝賀会
染五郎さんに直接
おめでとうございます が言えた、
それだけで幸せです、感謝いたします

ありがとうございました
幸四郎さん、と
きちんと呼べる気がします

★番外編
染五郎さん、やっぱり泣いたのですね
ご本人の気持ちを勝手な憶測で
計り知ることは出来ませんが
祝賀会前に開かれた会見のレポで
新聞社1社だけ?
終わった解放感、感慨がくるんだろう
と想像して千秋楽の前に泣いたけれど
その日になるとクールになって
やり残したことが思い出される
複雑な時間でした、と振り返った
との記載がありました
◆平成29年11月26日(日)◆
帝国ホテル東京
本館2階・孔雀の間
18:00~20:00